娘へのクリスマスのプレゼントは卓上織機。小さくてシンプルな、A4のコピー用紙くらいの大きさの織機。朝、目を覚ましてクリスマスツリーの隣にそれが置いてあるのを見つけた娘は、朝食の前にさっそく布を織り始める。もちろんすぐに織れるわけじゃないから途中で止めて保育園に行き、帰って来てから続きを織る。すぐに早くうまく織れるようになったので関心し、その旨を娘に伝えると「四歳の時からずっと欲しかったものだからすぐに織れるようになったのだ」というようなことを言われる。ああ、そんなに欲しいと思っていたのか、そんなに喜んでくれているのか、欲しいと思っていたものをもらえて良かったなあ、と安心する。初めて織った10センチ四方くらいの作品を、娘は惜しげも無くぬらして台拭きに使う。手に入れたものはしまい込んだりせずにどんどん使って行く。娘にはこういう思い切りの良いところがあって、僕はそれが好きだ。

そういえばクリスマスの音楽が家にはないのだった、今年はまあ、音楽なしで我慢するとして、来年はクリスマスソングを聴きながらクリスマスを待つ、というリアルに充実した日々を送りたい、と思う。しかし1年経てばそんなことはきっとすっかり忘れてしまっているはず。「なんかクリスマスのCDとかあれば良かったな」などと言いながらテレビを見て過ごす、なんてことになっているはず。だから思いたった今注文しておこう、とAmazonで色々と調べる。子供が喜びそうなのがいいな。と思うが、大人も楽しめるのがいい。友人のCはフィル・スペクターのやつが良いって言ってたけどどうだろうか? といろいろ見ていたが結局、ボブ・ディランの「クリスマス・イン・ザ・ハート」を注文した。のが今日届いた。これを聴きながら晩御飯を食べる。ガラガラ声で「メリー・クリスマス」とか言うのを聴きながら家族三人で大笑いする。

職場の人のお母さんが今月百二歳でなくなった。職場の人の話を聞きながら僕は自分の娘が百二歳になったときのことを想像する。ちゃんと面倒を見てくれる人がいるのだろうか。僕の娘の息子の嫁とかが百二歳の僕の娘に意地悪したりしたら俺が許さない、ぶっ飛ばしてやる。百二歳になった僕の娘は百年前のクリスマスのことを覚えているのだろうか。時々思い出すことがあるんだろうか。百年前(本当は九十七年前だけど)、五歳の自分に贈られた卓上織機のことをどんな風に思い出すのだろうか。ボブ・ディランがガラガラ声で「メリー・クリスマス!」って言ったのを聞いて大笑いしたなんて、そんなこともう忘れてしまっているだろうな。

次回のベイチモのライブは12月27日。河原町三条のvoxホールにて。「プリンセスやすこ生誕祭2018」に出ます。聴きに来てね。