ジェントルマン

noise-poitrine2018-08-24

劇団hakoのAよりメール。お芝居をやりたいとのこと。演劇をやめてから何年もたち、もうこの先演劇をすることなどないのかもしれないと思っていたのだけど、いや、しかしまた俺は演劇をするのかもしれない、観客の前で演技をするのかもしれない、と思うとアドレナリンが出てくるというかボルテージが上がるというか興奮するというか、とにかく気持ちが明るくなる。仕事も家庭もあるから長い作品を作るのは難しいけど、短いのを作ってカフェとかでちょっと上演するとか、仕事をしながらでもやろうと思えばいくらでもやりようがあるのだろう。近々劇団のメンバーで集まってミーティングをする予定。
夕方、ユーゲでジャージャのライブを聞く。子連れのお客さんが多くて、ジャージャの人が言ってたみたいにユーゲの二階は奴隷船の様相を呈して狭い畳の部屋に人がぎっしり。そして小さい子供はどういうわけで大人の足の上に自分の足をのせたがるのか、それで安心するからか、手持ち無沙汰を紛らわせるためか。こないだ娘の保育園の保育参加に行ったときも何かというと男の子が僕の足の上に自分の足の指をのせている、踏むというよりも足の指でずっと触ってる感じ。今日のユーゲでも隣に座った男の子が僕の足の小指と薬指のあたりに自分の親指と人差し指の付け根のあたりをのせている。生暖かくちょっと湿ったちょっと乾いた感触をずっと感じながらライブをみる。前回アバンギルドでジャージャと対バンしたとき(娘が生まれてすぐのころだったと思うから5年くらい前か)ステージの上にちっちゃい男の子がちょこんとのっていたのが今では小学生のお兄ちゃんで妹までいて、お兄ちゃんは精悍な冷静な顔で動物の骨の操り人形や顔が恐竜の化石の獅子舞をしていたのが印象に残った。怖がる子には近づかず、風呂敷の下に人間の男の子が隠れていることをチラチラ見せて安心させつつ、喜んで見ている子には骨を触らせたり獅子舞で突っ込んで行ったり。その選択の間違いのなさ、正確さにジェントルマンを感じる。