親の年金をつかってキャバクラ

noise-poitrine2018-08-11

妻が録画しておいてくれた「猫も、杓子も。」の保坂和志の回をみる。僕がぼーっとしている間に、妻はこういういかにも僕が見たがりそうな番組をどこからか探し出してきて録画してくれるんだからありがたい。保坂さんの家は、小説を読んで僕が勝手に想像していたよりもぎっしりと家が並んでるところに建ってた。草ぼうぼうの空き家が隣にある、みたいなことをどこかで読んでたから、もっとスカスカと空間のある、草ぼうぼうの庭がそこここに見えるような場所を想像していた。
何ヶ月かぶりに街へ出て何ヶ月かぶりに丸善で本を買う。年に二回くらいしか来られないのだから、とちょっと奮発して何冊も本を買う。回転寿司。時々しか回転寿司にいかないものだから、回転寿司に行くといつも、僕は自分が好きな貝は石垣貝だったかつぶ貝だったか、と迷うことになる。どちらかはコリコリした食感でどちらかはシナシナした食感だったはず、そして僕はコリコリした貝が好きなのだか、今回の回転寿司でそれがつぶ貝だったことが判明する。忘れないようにここに書いておこう。僕はこの次に回転寿司に行ったらつぶ貝を食べろ。
アートコンプレックスのビルの1階でやってる「親の年金をつかってキャバクラ」という展示を見に行く。アートコンプレックスはいつから「ギア」専用劇場になってしまったのか。いつ行ってもずっと「ギア」をやってるみたい。ずっとずっとやっててお客さんが来続ける、というのはすごいな。アートコンンプレックスでは、飛び道具やらニットキャップシアターやらユリイカ百貨店やら、いろんな演劇をみたもんだったな、京都に引っ越して来た2002年からの4、5年間、僕は演劇を見るのがおもしろくてしかたなかったが、今ではもうすっかり演劇を見なくなっちゃって、年に2、3回くらいしか劇場に行かない。演劇作品を作ることもやめちゃったし。京都で20年も劇団を続けているヨーロッパ企画は、やっぱしすごいんだな。
「親の年金をつかってキャバクラ」はNPO法人スウィングの展示なんだけど、なんと言って説明したらいいのか。スウィングをざっくり説明すると、たぶん、いわゆる、知的障害者が通う作業所、ということになるんだろうけど、スウィングとしてはそんなふうにざっくりと説明されたくないはず。スウィングの活動の報告というか、こんな活動をしてますというのを展示してる感じの展示。スウィングで作ってるTシャツやバッヂがおいてある、ゴミブルーという戦隊ヒーロー風のコスプレをして月に一度ゴミ拾いをし、そこで拾って来たゴミをあたかも標本のように展示している、潰れた空き缶(をみると北大路通りにあったカフェ「汚点紫」を思い出す)、炊飯釜、「緒方様」と宛名の書かれた発泡スチロールの箱のふた、なんかが丁寧に並べられ、それぞれに品名だの採集した日付だのが白い小さい四角のプレートに印刷されて添えられてる。おんなじゴミ拾いをするにしても、ただ奉仕活動的にゴミ拾いをするだけじゃなくて、ヒーローの格好をして拾う、博物館みたいに並べて展示する、とかするとゴミ拾いの見方が変わる、おもしろさが変わる、価値が変わる。というのは、ゴミ拾いに物語がつくからだろうか。ゴミ拾いという行為にくっついてくる物語をみんなでおもしろがってる感じ。バス好きな3人がバス停で勝手にバスの案内をするという活動の展示。見た目が怪しすぎるので日本人からはほとんど話しかけられない、みたいなことが書いてある。こういうふうに町に出て活動をするのにはハイ・レッド・センターとか路上観察学会的なおもしろさがある。ハイ・レッド・センターは64年の東京オリンピックの前に白衣を着て町に出て勝手に道路掃除をする、通行止めをしてマンホールの蓋を延々と磨き続ける、とかの活動をしていたけど、それに似た匂いを感じる。
スウィングが掲げる「既存の価値観や固定観念を揺るがせる」「ギリギリアウトを狙う」「OKやセーフの余白を広げる」「日常に『抜け』を創る」などのコンセプトはとてもいいなあ、と思う。ギリギリセーフを狙うのじゃなくてギリギリアウトを狙うのがいい。ギリギリアウトを狙い続けていると、セーフとアウトを分けるボーダーがちょっとずつアウト側に広がって行く気がする。
丸善で買った高橋名人の本がおもしろすぎて、夜眠れない。1987年、小学校3年の夏休みに感じていたワクワク感が体に戻ってくる。こんなにもワクワクできる本を一気に読んでしまってはもったいない、読みかけの時間を持続させることでワクワク感を少しでも長引かせたい、と思いつつも読みやめられず、半分以上読んでしまってから電気を消して寝ようとするが興奮しすぎてなかなか眠れない。家庭用のテレビゲームが普及し始めた頃、ゲーム会社も雑誌社もテレビ局もみんな、何をどう作ればいいのか、どう宣伝するのがいいのか、報道するのがいいのか、というノウハウを持ってなかった頃、自分たちでそれを一から考えて作り出して行く人たちがいて、それはすごく忙しそうだけど、たぶんすごく充実した時間だったんだろうな。こういうふうに働くのだったら、たしかに会社というのはおもしろいところなのかもしれないな、とか会社をあまり知らない僕は思ったり。