イギリス旅行10

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 四月二十八日、日曜日、朝五時過ぎに娘の声で目をさます。僕は娘と一緒にダブルベッドで寝ていたんだった。いや、前日の夜は娘が先に一人でダブルベッドの真ん中で寝てしまったものだから、僕と妻が狭いソファーベッドで寝たのだったが、朝の二時すぎに娘が目を覚まし、お父さん、と呼ばれた僕はダブルベッドに移動し、眠れない、という娘に、羊でも数えなさい、とかなんとか提案してとにかく十分でも二十分でも長く睡眠をとっておこう、と目をつぶってうとうとしてたんだけど、娘は二時から五時までずっと眠れなかったという話で、何やらずっと考えごとをしていたらしいのだが、五時ごろ通りに面した窓がぼんやりと明るくなってくると、いつまでもベッドで寝転んでいるのも退屈なので、もう起きてもいい? と両親を起こして六時くらいに朝食。ハムとレタスとトマトのサラダ、スコーン、レモン味のヨーグルト、バナナなど。それからあつあつの紅茶。イギリスは日本と違って硬水だからイギリスで飲む紅茶は日本とひと味ちがっておいしいんだ、という話を聞いたことがあるけど、僕の舌では日本で飲む紅茶とイギリスで飲む紅茶の違いがわからない。日本で紅茶を飲んでいるときは、僕は紅茶の本当の味を味わえていないのかもしれない(水が軟水だから)と思っていたけど、どうもそうでもなかったっぽい、イギリスで飲もうと日本で飲もうと紅茶は紅茶だ、ほとんど同じ味だ、これならば日本に帰っても僕は安心して紅茶が飲める(イギリスで飲むのと同じ味だなあ、と思いながら飲めるから)。ああ、よかった。食後に娘は妻のスマートフォンYouTubeを見る。ロンドンにいてもふだん日本で見てるのと同じ映像作品が見られるなんて、なんて便利な時代になったものか。娘は、英語ばかり聞こえてくる環境がストレスになっていて、そのストレスを日本語の番組でやわらげたい、ということなのか。僕らはこの日はナショナル・ギャラリーに行く予定で、十時から入館できるように予約を入れておいた。ロンドンの美術館とか博物館は無料のものが多くて、昨日行ったV&Aも昨日行けなかった自然史博物館も、そして今日行くナショナル・ギャラリーも、そのうち行くはずの大英博物館も、入場は無料。しかし世界中から人が集まって来るんだから毎日の来館者の数は大変なもので、その全員を無制限に入館させてしまってはとても展示を見るどころではなく、博物館に集まった世界中の人たちがおしくらまんじゅうをして一日過ごす、ということになりかねない。かと言って全員が平等に列に並んで入館を待っていたのでは行列がむやみに長くなり、来館者は何十分も何時間も外で待たされることになる。じゃあどうするかというと、本気で、熱意を持って、真剣に展示を見に来る人はあらかじめネットで予約をすればいい、ということになる。予約をすれば並ばずに入館できる、貴重な時間を節約できる。予約をしていない人が追い払われるということもなくて、そういう人でも列に並んで何十分か待てばちゃんと入館できる、入館すれば予約した人と同じように展示を見ることができる、という仕組みが、シンプルだけど合理的なことだ、と感心する。今日も雨で風も吹いて寒い。アールズ・コートのバス停からバスに乗る。二階建てバスに乗れるのかな、と期待していたのだが、僕らの乗ったバスは普通の一階建てのバスだった、色は赤かったけど。このバスが猛スピードで飛ばすバスで、バス停でいったん止まってから発車するたびに体がシートに押しつけられる、立っていると転びそうになる。そういえば昨日の地下鉄もスピードが早かった気がする。これがロンドンのスピードなのだな、気をつけないと痛い目を見ることになるぞ、と身が引きしまる思いだ。ハロッズの前を通ったときはハロッズがあまりに巨大で、なんだか要塞じみて見える。これでもか、これでもか、と彫刻を掘りまくったような装飾があまりに大仰に見えて、これはやりすぎだろう、と笑ってしまうほどだ。イギリスの豊かさを見せつけられたような気持ちになる。京都の大丸や高島屋を思い浮かべると、ただの四角い建物しか浮かんでこなくて、これでは勝負にならないな、と思う。いや、別によその国のデパートと勝負をしようとか、そんなことは大丸の人も高島屋の人も思ってないのだろうけど。ナイツ・ブリッジで降りて乗りかえるはずが、バスが止まり、席を立ち、歩いて降車口まで向かっている途中で運転手はドアを閉めて、バスを急発進させる。もう一度席につきなさい! 立っていると転ばされるぞ! とあわてて三人で近くの空席に座る。おかしいな、バス停に着く前にベルを鳴らしたのにな、運転手は聞こえなかったのかな? 次のバス停でバスを降りて、雨と風のなか、バス停ひとつ分引き返す。今日はロンドンは日曜日の朝だ、街の中でランニングをしている人が僕らを追い越していく。ランニングをする人はぴったりと体にはりついた服、体のラインが丸わかりの服を着ていて、こういう服は京都の賀茂川とかでランニングする日本人は恥ずかしがって着ないだろうな、と思う。それが、ロンドンでピタッと体に張りついた服とかタイツとかを身につけてる人を見てると、何も気にせずごく自然に着ている感じで、これが私の持って生まれた体なんです、別に恥ずかしがることもないですし、かと言って特に自慢することでもないですし、私の体がここにある、私がここにいる、ただそれだけでいいじゃあないですか、あるがままの体で生きて、あるがままの体で走る、人生それでいいじゃあないですか、と言ってるみたいな、そんな雰囲気を感じる。ナイツ・ブリッジで乗り換えたバスは二階建て。二階にあがる。ハイドパークでランニングをする人らを二階から見おろす。トラファルガー・スクウェアでバスを降りる。トラファルガー広場のネルソンの像を見上げたときには、旧友に再会した気分になるはずだ、ネルソンよ、俺は二十七年ぶりでおまえに会いに戻って来たぞ、今回は俺の家族も一緒だ、見てくれネルソン、ここにいるのが俺の妻と娘だ、などと思って胸が熱くなるに違いない、と予想していたのだったが、実際ネルソンを見あげてみるとそれほどの感慨も特になくて、ああ、ネルソンか、と思っただけだったのが拍子抜け。ナショナル・ギャラリーについたのは十時十分くらい。そのあたりに立っているスタッフの人に聞くと、予約した人は東南の入り口の列に並んでくれ、ということで、列の最後尾に並ぶとちょうど道を挟んだ向かい側にカフェ・イン・ザ・クリプトの円筒形のガラスの入り口が見える、お昼はここでアップル・クランブルを食べるのだ、と、これから見るはずの絵画の数々よりも食事の方が楽しみでワクワクしてみたりする。