イギリス旅行18

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4月29日(月) ヴィクトリア駅からオーピントン駅までサウスイースタン鉄道に乗る。駅を出るとすぐに列車はテムズ川を渡り、一瞬バタシーの4本の煙突が見えてまたすぐに建物のかげに隠れて見えなくなって、そうこうするうちに線路の両脇には緑の木が生い茂り、ああ、イギリスの田舎に来たんだなあ、と思う。昨日までの降ったり止んだりの寒々とした天気とは違い、今日は快晴と言ってもいいくらいの晴れようで、いかにも初夏というか、初夏が言いすぎならば春で、太陽の光も春だし空の青さも春だし白い雲も春だし木や草の緑の色も春で、春の中を列車は走っている。右の窓を見ても左の窓を見ても、そこに生えている木の葉っぱとか枝の伸び方とかがどうも慣れ親しんだ日本の植物の様子とちょっと違うようだ。日本の森みたいに湿気を含んだ感じが薄いというか、鬱陶しさが少ないというか。イギリスの木は葉っぱが大きくて薄くてまばらなんだなあ、という印象で、唐突だけれどふと頭に浮かんだのは、そうか、こういう土地でファンタジーは生まれたのか、ということだった。カラッと晴れた青空と、背の高い木と、雲を早く吹き流していく風があるこの土地は、いかにも妖精が住んでそうな土地だ、一方で日本のことを考えてみると、ジメジメとした森とか水田とか梅雨とか台風とか茅葺き屋根の木造の家とかは妖怪が生まれてくるのにぴったりだなあ、という気がする。オーピントンまでは1時間くらい。西口と東口だったか、北口と南口だったか、とにかく改札口が二つあったのだけれど、僕らは目指すダウン・ハウス行きのバスが止まるのと反対の出口から改札を出てしまった。改札口にはおじさんおばさんの駅員さんが五人か六人くらいで固まって立ってておしゃべりをしている。駅の規模を考えると多すぎるくらいの駅員の数で、しかもその駅員がばらけて仕事をするのではなく、全員で同じ改札の前に立って楽しそうにのんびりしゃべっていて、この駅員の人たちがいかにも幸せそうな顔で笑っている。妻が、おじさんの駅員さんに「ダウン・ハウスに行きたいのだけど、バス停はどこですか?」とたずねると、駅員さんは「ダウン・ハウス……?」と、ダウン・ハウスを知らないらしく、答えられない。それで質問を変えて「R8のバス停なんだけど」と伝えると、「ああ、反対側の出口だよ、一回ここから駅の外に出て、左にずっと行くと道が橋の下をくぐるから、橋をくぐってからまた左に曲がったらそこがR8のバス停だ」とのこと。バスに乗り遅れたらことなので落ち葉の積もった歩道を急ぎ足で歩く。「GUINNESS」とプリントされているガラス製の1パイントのジョッキが落ち葉の上に落っこちていた、誰かがここでビールを飲んでいたのかな? バス停に着くとバスが来るまでにまだ時間があるので、駅のキヨスクで飲み物を買う。赤い1階建てのバスが来る。ここはもうロンドンじゃなくて、たぶんケント州とかそっちのあたりなのだと思うけど、ここでもちゃんとオイスター・カードが使えた。オーピントンのあたりは平和な、時間がゆったりと流れてる町、という感じ。高い建物が少なかったような気がするし、家も密集してなくて、適度にばらけて建っていたように思う。バスが教会の前で止まり、今日はバスはここまでで、また駅に戻るので降りてください、みたいなことを運転手が言う。「いや、ダウン・ハウスまで行くのとちゃうんかい」と妻がツッコミを入れると、運転手は右のほうを指差して、歩いたら10分で着くから、みたいなことを言って、ぐるりとバスの向きを変えるとまた駅の方に戻って行ってしまった。いまGoogleマップで調べてみると、どうやらこのとき降ろされた教会はSt Mary The Virgin という教会みたい。石造りの古い教会で、壁の高いところに日時計がついていた。教会の周りには古い石のお墓があり、低い木が生えていて、尻尾のふさふさしたリスがチョロチョロと木の枝を登ったり降りたりしていて、「あ、リスだ!」と興奮する。妻はイギリスでリスを見たかったんだと言っていた。ここからダウン・ハウスまで歩く。この道は歩道が狭かったり、あるいは歩道がほとんどなかったりで、つまり車道の端っこを歩くみたいな形になってちょっと怖いかもと思ったのだけど、車はほとんど通らないし、車が来たとしても、運転手は歩く僕らに気づくと速度を落として大きくよけて通り過ぎて行ってくれる、歩行者の僕らと目を合わせて、手をあげて「あ、どうも、すまないね」と挨拶をしてくれる、ので特に怖い思いもせずにダウン・ハウスまで歩くことができた。この道を歩きながら、このあたりの風景というか、空気というか、湿気が少なくて緑が綺麗な感じは軽井沢に似ているなあ、と思う。けど、それはたぶん逆で、軽井沢がイギリスとかヨーロッパとか北アメリカとかの気候に似ていたから、外国から来た人は軽井沢に別荘地を作ったのだろうな。