イギリス旅行29

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4月30日火曜日、晴れ。いや、受付でもらったマップを見てみたら、ファイブ・シスターズがあった壁は大聖堂の東側ではなくて北側だったみたいだ。だとしたら、たとえ午前中にここに来てみてもあのステンドグラスが外から太陽で照らされて光って見えたりなんかしない、ファイブ・シスターズはどの時間に見ても暗くてゴシャゴシャしてることになる。だけどなんでファイブ・シスターズはあんなに暗いんだ、あんなにごちゃごちゃしてるんだ? きっと当時はガラスが貴重でそんなに大きなガラスを作ることができなかった、だから小さい色ガラスをちまちま作って、色ガラスといってもせいぜいうす青いガラスか薄緑のガラスかで、そこにごくたまに薄赤いガラスが混じるくらいで、それは当時の技術としてはそれで限界だった、だからあんなステンドグラスになっちゃった、ということなのかもしれない、よく知らないけど。チャプターハウスという八角形の部屋に行くとここにも大きなステンドグラスがほぼ全部の面にある、いや、六面くらがステンドグラスだったのか、それとも八角形のうちの四面がステンドグラスだっただけなのかもしれないけど、とにかくぐるっとステンドグラスに囲まれてるような印象。ステンドグラスの下の壁というか柱にいろんな顔の彫刻が彫ってあるのがちょっと見るだけだと立派な司教様とかを彫刻したのかな、というくらいで見過ごしちゃうんだけど、一つ一つよく見ていくとブタ鼻の悪魔とか、あっかんべーをしてるおじさんとか、鼻に指を突っ込んでる人とか、鳥に目玉をつつかれてる人とかがある。最初の方は真面目に作ってたけど、最後の方はネタが尽きて来て、だんだん飽きて来て、それにどうせこんなとこをじっくり見る人もいないだろうし、なんかおもしろいやつも混ぜちゃえ、みたいなノリで作ったのだろうか、と妻がいう。ここでおもしろい顔探しをしていたら、疲れて座りこんでいた娘もちょっと興味を示しはじめる。だけど、ここまで毎日一万七千歩とか歩き続けたダメージが子供の足にたまって来ていて、ちょっと歩いてはベンチを見つけて座り、また歩いては椅子を見つけて座り、沈んだ顔でズルズル、シブシブ、しかたなく大人に付き合ってやっている、こんなとこ来たくて来てるわけじゃないんだ、と顔に書いてある。地下墓地に降りてみると、石の棺桶の前にろうそく立てが並んでて、ここで娘は小銭を募金してろうそくに火をつけお供えしてお祈りをすると、ちょっと元気が出る。なんかこういうイベントというか、自分の手を動かしてなんかするっていうのがちょっとだけ楽しいし、それに地下墓地っていうのがちょっと探検っぽい雰囲気があって子供の心を少し明るくする。地下墓地のさらに下にはローマ時代の将軍だか長者だかなんかの屋敷の跡というのが埋まっているらしく、床に井戸みたいな穴が掘ってあって、その下にローマ時代の家の土台の跡が見えるようになっているところに世界中の小銭が一面に落ちていて、日本だとお地蔵さんとかお寺の池とか灯籠の前かなんかに一円玉とか五円玉とか十円玉とかがいっぱいお供えしてあるのをたまに見るけども、イギリスでもおんなじような風習があるのだろうかと思うが、ここ以外の場所でコインがいっぱいお供えしてあるという場面を見かけなかったような気もする。だけどなんで将軍の家の跡地に大聖堂を立てたのか。イギリスにも風水みたいなのがあってこの場所が風水的に良い場所だったからなのか、それとも町の中でも一番水はけがいいとか清潔だとかいい風が吹くとか見晴らしがいいとか商店街に近いとか敵に攻められにくいとか、そういう場所に権力者が家を作ったし、神聖な大聖堂もやっぱりそういう場所に作ったということか? つまりそれが風水的に良い場所といことにもなるのか? 地下墓地を出て大聖堂の中をぐるりとひとまわりしてセントラル・タワーの下に来て上を見上げるとてっぺんまでずっと吹き抜けになってるのがすごい高さだ。あの高い塔の上までのぼるツアーがあるけど参加する? と入り口の受付のお姉さんに聞かれたけど、遠慮しときます、と僕らは断ったのだった。あのてっぺんから町を見たらさぞかしいい眺めなのだろう、しかしだいぶ怖いだろう。そのてっぺんから紐がまっすぐ下にのびていて、紐の先にでっかい十字架が吊り下げられていた。人をひとり縛りつけてもまだじゅうぶんに木があまるくらいのでっかい十字架だった。