ああ、いい匂いだ、ああ、いい匂いだ

 六月になってもかんかん照りの日ばかり続いて全然雨が降らず、農業をしている人は気が気じゃないだろうなろ思っていたところ、今週に入ってからようやく雨が降るようになって、やっと梅雨らしくなってきた。こないだSさんといっしょに瓶づめにした梅と氷砂糖と焼酎は台所のガス台の下の戸棚の中で、ゆっくりと梅酒になりつつある。秋くらいにはちゃんとした梅酒になっていることだろう。半年ほど寝かせてクリスマスあたりに飲むのも良いかもしれない、とか思う。クリスマスのためにワインをつくって寝かせておく話をカーソン・マッカラーズという人が書いてて、カーソンさんが子どもの頃、秋になるとお父さんが子どもたちを車にのせてどこか野原だか森だかにつれていって、そこでみんなで何かの花をつんで、カーソンさんのお父さんはその花でワインをつくったのだそうだ。カーソンさんはたしかそれを「It was a yellow white wine」と表現していたと思う。黄色い白ワインというのがすごくうまそうで、忘れられずに今でも覚えている。さらにカーソンさんは黄色い白ワインの色を「the color of weak winter sun」とも表現していて、冬の太陽の光の色をした白ワインというのは、やっぱり大変うまそうに見える。
 今の季節はなんと言ってもクチナシが咲くのが楽しみで、僕の住んでいるあたりには道路の車道と歩道のさかいめにずーっとクチナシが植えられていて、白い花を咲かせている。買い物の行き帰りの道とか、仕事に行くとき通る交差点とかでクチナシの匂いをかぐと、ああ、やっぱり僕はこの花の匂いが好きだな、と思い、それから以前に匂いをかいだクチナシのことなんかを思い出したりする。始めてクチナシの匂いに気がついたのは花屋さんでバイトをしているときだったな。僕は花束をつくったりとか車を運転して配達に行ったりとかができなかったので、わりと雑用的なことを主にやっていて、毎朝お店の外に鉢植えを並べて端から順番に水をやって行く係とかをしていたのだけれど、そのときに小さな鉢の白い花がやけにいい匂いなのでびっくりして名札をみると「クチナシ」と書いてあり、そのときに始めて僕はこの世にクチナシといういい匂いの花が存在するのだということを知ったのだった。あの鉢はたしか700円か800円くらいで、いつのまにかなくなってしまったからきっと誰かに買われて行ったのだろう。それ以来いつか僕も自分でクチナシの鉢を買って毎日水やりをして毎年六月には自分専用のクチナシの匂いをかぐ生活をしようと思っているのだけれども、いつもいつも何となく買いそびれて、あれからかれこれ八年くらいたつのじゃないかしら。
 地図屋さんのバイトをしていたときは地図を持って一日中野外を歩き回っていたので、そのときもやっぱりいろんな場所でクチナシに遭遇して「ああ、いい匂いだ、ああ、いい匂いだ」と恍惚としていたものだった。垣根が全部クチナシという家があったように記憶している。あれは伏見区だったろうか。石田団地という団地がいっぱい集まっている場所の近くで、狭い道をうねうねと入っていったところにその家はあったように思う。