ああ、極楽極楽

 僕は夜に仕事をして、Sさんは昼間に仕事をしているので、平日はなかなか食事に行ったりもできなくて、どこかに出かけるとなるとやっぱり日曜日ということになる。今日は雨も降らず、かといって太陽が照って照ってかなわないというほどでもなくて、自転車でどこかに出かけるにはちょうど良いような日であり、そういうわけでSさんと僕とは自転車に乗って京都古本屋めぐりというデートに今日は出かけた。
 僕は古本は好きだけれどもあまり京都の古本屋のことを知らない。古本を買うとなるともっぱらブック・オフに行きがちであるけれど、Sさんは京都の古本屋のことを良く知っていて、そのSさんによると「はんのき」という古本屋が昨日開店したのだというし、今日は今日でSさんの知り合いの人が「善行堂」という古本屋を新しく始める日なのだという。「善行堂」には僕の好きそうな本がいっぱいありそうなのだとSさんは言った。そういうわけで、今日僕らは古本屋めぐりのデートに出かけて、全部で三軒の古本屋をのぞいてまわった(古本屋と呼び捨てにするのは無作法なことなのかしら。「古本屋さん」とさん付けで呼ぶほうが良いのだろうか。それとも「古書店」とか書いたほうが正式なのだろうか)。
はんのきで僕が買った古本:
吉田健一『私の食物誌』300円
現代思想』1996年8月臨時増刊号(特集は荒川修作+マドリン・ギンズ)800円。
XX書房で見つけたけど、高くて買えなかった本:
小島信夫『私の作家遍歴』1〜3巻、23,000円(これはいつか大金が入ったときに買いに行きたいと思う。なので、それまでに他の誰かに買われてしまわないように、ここではあえて店名を伏せ字にしておく。このブログを見た小島信夫フリークの人が僕を出し抜いてXX書房で『私の作家遍歴』を買ってしまわないための用心だ)。
善行堂で買った古本:
小島信夫『美濃』3000円(!)。
 善行堂はすごかった。何がすごいと言って、小島信夫の本が何冊も棚に並んでいるのがすごかった。僕はこれまで古本屋さんでこんなにいっぱい(といっても五、六冊だけど)小島信夫の本が棚に刺さっているのを見たことがない。しかもどれもそんなに高くない。『美濃』を見つけたときはびっくりして目が飛び出すかと思った。僕が「おお」と唸りながら『美濃』を抱えてはたしていくらまでだったらこの本にお金を出せるだろうかと考え考え店内をうろうろしている間、Sさんと善行堂の主人はなにやら世間話をしている。その世間話を聞きながら僕は気を鎮めつつ店内を歩き回り、世間話が一段落ついたなという頃に僕はSさんの隣に行き、善行堂の主人におそるおそる値段を聞いてみた。
僕「あの、これはおいくらでしょうか?」
善行堂「これはねー、これはむずかしいなー」と、背表紙をめくってみるとそこに値段が書いてあった。
善行堂「あ、書いてあった。3,000円。高いかなー」
僕「いえ。買います」
 3,000円という予想外の安さに「ああ! これは夢じゃないかしら!」と、天にも昇る嬉しさ! 喜ばしさ! 古本を買うことがこんなにもはらはらどきどきすることだったとは! 古本屋とはこんなにもわくわくする場所だったのか!
 その後僕とSさんは進々堂にごはんを食べに行ったのだけど、『美濃』を手に入れた嬉しさで興奮した僕はSさんとそれまでしたことのなかった突っ込んだ小説の話をして、それから鎌倉時代あたりにつくられたという大きなお地蔵さんのうしろに自転車をとめて京大の人文科学研究所のまわりを歩き回り、カメラでもってハイカラな家の写真を撮りまくり、この家はもしかしたら波多野完治の家じゃないかしら、あの家は貝塚茂樹の家じゃないかしらなどと、根拠のない推測をしゃべりちらかして、さらに写真を何枚もとり、そうしているうちにだんだん歩き疲れ来たし散歩にもだいぶ満足したのでまた自転車に乗り、途中のファミリーマートでビールとコロッケみたいなものやフライド・チキンなんかを買って鴨川に行き、大文字山の「大」という字が正面やや右側に見えるベンチに坐り、一服した。
 僕らの座ったベンチの左隣のベンチでは、すらりと背が高く色の黒いヒスパニック系に見える青年がたばこを吸いながら携帯電話に向かって外国語をしゃべっていて、電話とたばこが終わるとウクレレの練習を始めた。通りかかった散歩中のおばあさんが
「隣、いいですか?」
と、ウクレレを弾く青年の隣に腰をおろし、
「気にしないでどんどん弾いてちょうだい」
「大きい音でやっていいから」
と、ニコニコと青年に話しかけている。青年はときどき楽譜かノートに何かメモを書きながらやすみやすみウクレレを弾き、その隣のベンチの僕らは手や顔をあらってさっぱりしてビールを飲み、散歩のあとのビールのうまさに「あー」「ふー」「へー」「いやー」などと声を漏らし、「極楽極楽」と揚げ物にかじりついて、「ああ、極楽極楽」とビールを飲み、ウクレレの音を聴いた。
 さっきから僕らの目の前に小さな茶色の犬の散歩をしているおばさんが行ったり来たりしている。と思うと、犬はウクレレを弾く青年にキャンキャンと吠えかかり、そうすると青年は微笑んでウクレレの手を休めて犬に手を振り、それからまたウクレレをポロポロと弾き始めた。犬の散歩をしていたおばさんは、
「やー、良い音」
と感心したように言い、青年の隣に座るおばあさんに、
「ねー」
と同意を求めると、おばあさんも、
「ほんとに」
と同意し、青年は、
ウクレレです」と短く言うと、あとは黙ってポロポロとウクレレを鳴らし、おばあさんとおばさんと犬と僕とSさんはみんな黙ってウクレレの音を聴いた。
 お父さんに連れられた小学校低学年くらいの女の子がふたり、お揃いのワンピースを着て僕らの前を横切るのを目で追っていると、親子三人は鴨川のこちらの岸と向こうの岸をつなぐ飛び石の上をぴょこぴょことはねながら渡って行き、あっという間に小さくなり、向こう岸の橋の下に消えて行った。運動部に入っている感じの中学生の集団が騒ぎながら川をさかのぼる方向に歩いて行き、下流の方向に向かってはわらび餅売りのおじさんが「わらび餅」と書いた旗をたてた自転車を押して歩いて行った。あとちょっとで満月という月が雲の間に出たり隠れたりしている。暑くもなく寒くもなく、暗くもなく明るくもなく、足りないものも余計なものもないように感じて、こんなに良い日は人生にそうそうないのじゃないかしら、と思った。
 飛び石の上をぴょんぴょんとわたって行った親子には、僕は以前にも会ったことがあるという気がしていて、どこで会ったんだっけと思い返してみると、あれは十年くらい前、僕がまだ大学生の時に、近所のラーメン屋で出会ったのだったなと、そのときのラーメン屋の親子を思い出しながら僕はSさんの隣に座り、フライド・チキンをかじってビールを飲んでは、ウクレレを弾く青年を眺めていた。青年はベンチを立って歩き回りながらウクレレを弾いていて、シロツメクサの白い花がぴょこぴょことはえている上をベルボトムに緑のTシャツのすらりと細い青年がポロポロと鳴らすウクレレの音が小さく聴こえている。