生まれた

 8月28日、朝目を覚ますと、妻はふとんから起き上がらずにお腹が痛いという。どうもこの痛さは今までの痛さとは違うようだという。お弁当を作る力も出ない感じで、今日は僕が弁当を作って朝のコーヒーを入れる。『あまちゃん』が始まる頃には妻は起きて来て、ソファーに座り、『あまちゃん』を見ながらコーヒーとパンの朝食。今日こそは陣痛が来るのかもしれない、陣痛が来たらすぐに携帯に連絡を、と言いおいて僕は職場へ。
 午後一時半すぎ、妻から電話。今からタクシー呼んで病院に向かうとのこと。電話での会話中にも陣痛が来ているらしく、ちょっとまって、陣痛きた、という声がいつもと違う声だ。しゃべれないほどの痛さなのか。僕は仕事を早退してバイクで病院へ。妻よりも早く着いたので、実家に電話をしたり、きょうだいにメールで連絡をしたり。
 妻と妻のお母さんがタクシーで到着したのは二時半頃だったか。パパママ教室で一緒だった夫婦がちっちゃい赤ちゃんと一緒にいるのに会う。生まれはったんですか? はい、陣痛ですか? ダンナさんは腰をさすってあげるといいですよ、あとテニスボール貸してくれるんで、テニスボールでマッサージしてもらうと私は楽でした、などとアドバイスをもらう。
 産婦人科で内診。すぐに出産ということもなさそうですが一応入院しておきましょうか、ということになり、我々三人は分娩室に通される。妻はタオル地のガウンに着替えたり、長いソックスをはいたり。そうしているあいだにも陣痛は定期的にやってくる。日付が変わる前には生まれるでしょう、と看護士さんは言う。四時頃また様子を見に来ます、何かあれば遠慮なくナースコールを、と看護士さんは出て行き、我々三人は分娩室で音楽を聴いて過ごす。我々は分娩室での時間を快適に過ごすために、一ダースほどのCDを用意して来ていた。まずオムトンの『3』を聴き、次にまたオムトンの『Odorudake』を聴く。陣痛の間隔はもう五分おきくらいになっていて、妻が痛そうにぎゅっと目をつぶるその顔はなんだか始めて見る人の顔だ。かけるCDは『Odorudake』が最後になった。『Odorudake』が終わる頃にはCDを替えるどころではなくなってしまう。
 四時すぎ、看護士さんが様子を見に来て、ベッドに横になった妻にゆっくりゆっくり呼吸をして、リラックスして、とアドバイス。看護士さんが出て行くと、おかあさんはちょっといちど家に帰って来る、と帰宅。今晩は泊りになるかもしれない、ならば家の雑事を片づけておき、万全の体制で娘の出産にのぞみたい、こんど陣痛が来たら、ゆっくりゆっくり呼吸をするように娘に言ってあげてね、一時間ほどでまた戻って来るから、とお母さんはタクシーで帰宅。
 それから僕は痛がる妻をさすったり、ゆっくりゆっくり、と声をかけたりしていたのだが、あれは夕方五時頃だったか、あ、破水した、と妻が言う。ナースコールで看護士さんを呼ぶと、破水しはりましたかー、と様子を見に来てくれる。すぐに先生も来てくれる。破水じゃないみたいですね。あれ、なんかちょっと様子がおかしいかな? みたいな空気になり、看護士さんがさらに二、三人駆けつけてきて、何やら大声を出して忙しそうにしているのだ。
 妻には酸素マスクがつけられた。ご主人、ちょっと外で待っててもらえます? と僕が外に出されたときにはもう七、八人が集まっていただろうか。「がんばって」とか「外で待ってるからね」とか、妻に何も声をかけずにほいほいと出て来てしまったな、立ち会う予定だったけど、どのタイミングで中に入ったらいいのかな、呼ばれるのかな、などと思いながら廊下のベンチに腰をかけると、看護士さんや先生たちがつぎつぎ走って集まって来る。
 超音波の映像を見せてくれたあの先生も、パパママ教室でしゃべってくれたあの先生も、それから始めて見る先生も来てくれてる。診察のときのおっとりしたしゃべり方と違い、男の人みたいな、ちょっと荒っぽい感じの、てやんでえ、みたいなしゃべり方になっている(先生は全員女の人)。なんか胸のポケットから携帯ストラップのキューピーさんがぶらぶらしてるんだけど、休憩中とかだったのかしらね? いや、病院内にいても携帯はつねに身につけているものなのか、それにしてもこんなに集まってくれるとは心強いかぎりだ、いやしかし、なんでみんなあんなに走ってくるのか? ひょっとして危ない状況なのか? 分娩室には十五、六人も集まっていただろうか。あとで聞いた話では、小児科の集中治療室の先生も駆けつけてくれていた。
 みどりのチューブ! チューブどっち?! オペ室とって! ガラガラとストレッチャーが運び込まれる。ストレチャー、逆! ストレッチャーはいったん廊下に出されて、半回転してまた分娩室に戻される。なんかすごいあわててるけど、大丈夫なのか? オペ室というのは僕の妻のことなのか? 妻に手術が必要ということなのか? 行ける! 産んじゃおう! オペ室キャンセル! いきんで! 妻のいきむ声が聞こえる。え、もう? そんなに早く? だってさっきまですげえのんびりしてたじゃんか! うー! というあの高い叫び声は妻の声なのか? 僕はけっきょく中に入れないのか?
 妻がいきむたびに女性たちが声をそろえて「負けない!」という。力強い「負けない!」を三度ほど聞いただろうか。断続的にぎゃぎゃっと聞こえるあの音は赤ちゃんの泣き声なのか、それとも何かがきしむ音なのか? 看護士さんが一人出て来て、生まれましたんでご主人なか入ってください、という。
 赤ちゃんが出て来たあたりを黒々と血まみれにして(一リットル出血していた)、妻はぐったりとベッドに寝ている。枕元に行くと妻は、赤ちゃんの声が聞こえない、赤ちゃんは大丈夫? たしかに今では病室に赤ちゃんの声が聞こえず、赤ちゃんの姿もない。隣の部屋で小児科の先生が見てくれてはります、看護士さんはそう説明してくれるのだった。赤ちゃんは無事なのか? 隣の部屋に出入りする人たちの表情を見ると、楽しそうな顔の人は一人もいず、ちらっとこちらに投げる目が気の毒がっている目に見えなくもないんだけど、しかし僕には、大丈夫だよと妻に声をかけるほかなんもできない。やがて泣き声が聞こえ出す。ほら、泣いてるよ。元気に泣いてる。ああ、もう大丈夫だ。
 看護士さんが赤ちゃんを抱いて妻の枕元に連れて来た。ほっぺたのあたりでしきりに手を動かしいる。泣き声も聞こえる。よかった。かわいい。面会は二十秒ほどだったか。赤ちゃんはすぐに集中治療室に連れて行かれた。
 赤ちゃんの心拍が低下し、それが子宮の中で十三分間続いていたのだという。妻は死産を覚悟したという。帝王切開をするかどうか、先生の間でも意見が分かれたんだけど、声の大きな先生が「産める」と判断したため、吸引分娩。帝王切開をしていては間に合わなかったかもしれません。あるいは吸引分娩がうまく行かずにけっきょく帝王切開に切り替えたりしたら、もっと危なかったでしょう。ちゃんといきんでくれて良かった。この病院は集中治療室があるから、産まれてすぐに処置をすることができる。こんだけ設備の整った病院じゃなかったら、どうなっていたことか。ちょうど夜勤との交代の時間で、昼の先生も夜の先生もそろっていたのも幸いした。
 妻のお母さんが戻って来たのは六時頃だったろうか。分娩室ではベテランの先生が若い先生に縫い方を解説しながら妻の産道を縫っているところだった。とにかく緊急で赤ちゃんを出さなくちゃならなかったので、いろいろ破れてしまった、ということで、だいぶ長いことかかって縫っていた。
 集中治療室に入れるのは父親か母親だけ。母親は起き上がれないので、僕が代表して赤ちゃんに会いに行く。赤ちゃんは透明の箱に入れられて、鼻に酸素のチューブをつけられている。元気に手足を動かし、ときどき泣く。ああ、これだけ動いて泣いているのだ、きっと元気に育つに違いない!