娘が生まれて以来、道を歩いてる女の人がみんな僕の娘に見えてしまう、というと言い過ぎになるけど、女の人を見ると娘があのくらいの年齢になったらどんなだろう、みたいなことを考えてしまう。ちいさな女の子が傘を持ってるのを見ると、僕の娘もあのくらいの年になったらお気に入りの傘とか持っちゃって、雨はまだか、と口をあけて空なんか見上げちゃったりするのだろうかとか、女子高校生が友達と歩いてるのを見ると、僕の娘も16歳とかになったらあんなふうに友達ができて、楽しく高校生活を送るのかしら、部活は何をやるのかしらとか、スーパーで買い物をする主婦を見れば、娘も結婚して子育てしたりするんだろうなあ、子育て大変かもなあとか、おばあちゃんを見れば、おばあちゃんになった娘は自分の好きな趣味をちゃんと楽しめているかしらとか。
 すれ違う女の人たちにいろんな年齢の僕の娘が重なって見えて来て、娘の人生のすべての瞬間がぜんぶ同時に町を歩いているような、そんな錯覚がおこる。僕は娘の人生の中を歩いているみたいな、宇宙イコール娘の人生みたいな。
 うっかりするとそこらの女子中学生をつかまえて「やあ、調子はどうだい? 楽しくやってるかい?」と声をかけてしまいそうだ。このままだと変質者と思われて通報される! 気をつけなければ。
 食べ物を見ても娘のことを考える。いかのシオカラとかを食べながら、娘はこの味をどんなふうに感じるのかな、とか。僕の舌は娘が感じるであろう味をイメージしながらいかのシオカラを食べることになる。

 29日午後、妻は車いすで集中治療室に入り、娘と初めての対面。保育器の中でもぞもぞと動く娘を見てちょっと泣く。保育器の中の娘はすでに鼻の酸素チューブがはずれていた。あらかじめしぼって持ってきた母乳をひとくち、口につないだチューブに入れてもらう。保育器に手を入れて娘のからだに触る。娘は妻の指をぎゅっと握っていた。
 二度目に娘に会いに行くと、娘はうつ伏せで眠っていた。正座をしたまま寝てしまった人のようなかっこう。ときどき顔をくしゃくしゃにして泣きそうになる。おしゃぶりを口に入れてあげるとむちゅむちゅと吸う。足をぎゅうぎゅうと曲げたり伸ばしたりして、そのまま歩き出しそうな勢い。この足か! お腹の中で蹴っていたのはこの足か! なにしろ、妊娠中の妻はこの足にお腹の左側を蹴られて、その勢いで右にふっとんだというくらいなんだから。

 Vサインをしているこの足。

 30日午後、娘は保育器から出る。昨日は肌が赤っぽかったけど、今日はだいぶ肌色になっていた。赤ちゃんは日に日に変わって行くのだなあ、と感心する。看護士さんに教えてもらっておむつ替えと授乳を妻がする。初授乳。おっぱいを飲んだ後ではちょっと顔つきが変わったような気がする。顔つきがちょっとマイルドになったような。僕が顔をのぞきこむと、娘はじっと僕の顔を見て何か考え込んでいるふうだ。また明日くるからね、と帰ろうとすると娘のしゃっくりが止まらなくなる。しゃっくりが止まってから帰ろうか、と待ったのだけど、なかなか止まらない。あの大きなしゃっくりは僕に似たのか。

 31日午後、集中治療室のガラス窓ごしに妻の両親と初対面。娘は薄目をあけておじいちゃん、おばあちゃんを見ていた。トモヒロさん、あなたの妻があまり甘いものを食べ過ぎないようにみはっていてくださいね、そう釘をさして妻の両親が病室を去ると、さっそく僕はグラン・ヴァニーユで買って来たケーキを出して、妻と食べる。今日は僕が娘のオムツを替えてミルクをあげる。ミルクのあとのゲップの出し方とかを教えてもらう。娘は日に日に表情が増えて行くようだ。今日は始めておでこにしわを寄せていた。ヤバい、おもしろすぎてなかなか離れられない……。

 血液検査も脳のCTスキャンの結果も特に異常なし。時々ミルクを飲む時とか泣いたあととかにうっかり呼吸するのを忘れるくらい。呼吸がちゃんとできるようになれば、明日にでも集中治療室を出られるとのこと。