イギリス旅行0日目

 何年か前に書いた戯曲「宇宙に缶詰」が近松賞を受賞して、去年の1月に賞金の100万円をもらって、これは尼崎市の人たちの税金をもらったわけで、このお金は劇作家を奨励するために贈られたわけで、だから近松賞の受賞者であるところの僕はこのお金をビールとかお菓子とか新しい自転車とかに使うんじゃなくて、もっと実のあることに、劇作家としての成長のために僕は100万円を使わなくちゃだめだ。

 劇作家として成長するためにはまず僕が人間として成長する必要があり、人間としての成長のためにはやはり一度は海外を見ておく必要がある(いや、一度は海外を見に行ったことがあるのだが、それはもう27年も前のことで、記憶がだいぶ薄れていることでもあるし、そのころはまだ僕は劇作家ではなくてただの学生だったのだし、劇作家である今、もう一度僕は劇作家として海外を見ておこう、この100万円はそのために使わなくちゃだめだ)、ということで、そうだ、イギリスに行こう、と思いたったのは去年の春の終わりか夏の前くらいのことだったか。しかし家族を置いて一人で行ってもしょうがない。妻と娘と三人で行かないと意味がない。いや、意味がないこともないが、せっかく海外に行くのだから家族と一緒に行ったほうが楽しいし、10歳の娘に一度海外を体験させてあげれば、娘のこの先の人生がもうちょっと開けたもになるのじゃなかろうか、という気持ちもある。

 とは言え、思いたってすぐに出かけるわけにもいかず、来年のゴールデンウィークかお盆休みあたりに行こうかしらね、と妻と話して、まあ、来年の春か夏なんてまだまだだいぶ先だよ、とか思ってのんびりと日常を送っているうちに気がつけばもう一ヶ月先にイギリス行きがせまってしまった、とか思っていたのが一ヶ月前で、それが今日はもうイギリスから帰って来て1日たっちゃってるという時間の早さはいったいどういうことだ。

 行く前は本当に行って来られるのか、飛行機が落ちたりしないだろうか、言葉が通じなくて苦労しないだろうか、予約したホテルは本当に僕らを泊めてくれるのだろうか、と無駄に心配してみたりもしたのだが、帰って来てみればほとんどの心配は杞憂だったし、かなり楽しい旅行になったな、と思う。なんか、もう、10年分くらいの楽しさが一度に押し寄せて来たくらいの楽しさだった。

 こんなに楽しかったイギリス旅行を僕はいつまでも覚えていたい、ので、忘れないように、忘れてもまた思い出せるように、ここに書いて残しておこうと思う。

 出発したのは4月26日金曜日の夜。10時25分発のフィンエアー。最初はエミレーツ航空のチケットを予約していたのだけれど、四月に入ってからイスラエルとイランがどんぱちやってたりしてて、ちょっと怖い。万が一ということもあるし、君子危うきに近寄らずということで、きゅうきょ出発の2週間前くらいにフェンエアーの便を探したらまだ空きがある、というか、ガラガラで、席を選び放題である、というわけで、エミレーツをキャンセルしてフィンエアーのチケットを予約した。フィンエアーの方が3万円だか4万円安くて、それにヘルシンキの空港で乗り換えるのであれば「ムーミン・カフェ」にも寄れるし、世界一まずいお菓子だといううわさのサルミアッキも買える。

 それにしても、飛行機のチケットを買うだけで、尼崎市からもらった賞金が全部ふっ飛んでしまった。賞金で交通費を出してもらってイギリスに行く、という形。現地での宿泊費と食費と移動費は自腹。貯金しといて良かったよ。

 26日は、仕事を2時半くらいで早退して、家に帰ってシャワーを浴び、娘が学校から帰ってくるのを待ち、4時半に家の前に来てくれるように予約しといたタクシーに乗って、地下鉄、JRと乗り継いで関西国際空港へ。空港の広さにビビる。ゴミ箱わきにスニーカーの空き箱が積んである。きっと日本でスニーカーを買った外国の人が、箱だけ捨てて履いて帰るのかな、と思う。

 チェックインしてから晩ごはん。「日本の食堂」という食堂で三人ともうどんを食べる。一杯1000円くらいして、うわ、高いな、観光地値段だな、とか思うけど、きっと海外ではこの値段が普通なんだろうな、とも思う。こないだテレビで見たけど、京都とかでもラーメンを一杯2000円で出してる店があって、この値段にしないと外国から来た人には逆に安すぎて、質が悪げな印象を与えちゃうんだ、みたいなことを言ってた。

 飛行機は想像していたよりも狭かった。え、新幹線と同じくらいの座席じゃんかさ、こんな席で10時間以上もじっと座って、寝たり起きたり映画みたりするのか、大丈夫なのか、と心配になる。

 離陸するときの飛行機のスピードがすごい。それまではゆるゆると前に進んでみたり曲がってみたりしてたのが、さあ、今から本気でぶっ飛ばしますよ、一直線の滑走路を走って加速していきますよ、というときの、シートの背もたれにぐいっと押し付けられる感じ。うわ、この加速は半端ねえな、しかし、いくら加速してもこの鉄の塊が本当に空を飛ぶのかね、大丈夫かね、俺たちの命をあずけても大丈夫なのかね、機長さんよ? とか心配してると、ふわっと体が浮き上がるような感覚があって、機体が斜めに上を向いたままぐんぐん町の光が下に遠ざかって行く。

 機長の名前はトンミ・アルトネン。フィンランドに行くことが決まってからあわてて『かもめ食堂』のDVDを借りて来てからまだ1週間もたっていないから、『かもめ食堂』に出て来たトンミ・ヒルトネンのことを家族の三人ともがおぼえていて、当て字で書いてもらってた「豚身昼斗念」という漢字なんかを思い出したりして、ひとしきり盛り上がったのは離陸前のことだったか、離陸後のことだったか。

 このごろは飛行機の中で好きな映画を選んで好きなタイミングで見られるということで、僕はクリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』を見ようかと思っていたのだけれど、日本語の字幕がなくて、英語でセリフを聞きながら(しかも飛行機の音がうるさいからよく聞こえない)英語の字幕を読む、というのではとても理解できないっぽい感じだったので、あきらめて日本語の映画をみる。是枝裕和の『怪物』。先生の手が子供に当たっちゃって子供が鼻血を出した時に、先生がちゃんと親に事情を説明して、お互いに情報を共有していれば、もうちょっと親と先生と子供が信頼しあえる関係になれたんじゃないか、やっぱり情報の共有というのは大事なのだなあ、と思う。

 飛行機はほぼ満席。しかし、僕らがチケットを買った2、3週間前の時点ではまだ席が選び放題だったから、僕らは後ろの方の窓側を予約したのだけれど、「朝日が見られたら素敵だろうな」とか思って、僕は日本からフィンランドに飛ぶときに南側を向く席を選び、「そんなことまで考えているの」と妻に感心されて褒められたりもしたのだが、しかし実際朝日のあたる席に座ってみるとまぶしすぎて窓なんて開けていられない。せっかく娘に飛行機から見る日の出を見せてあげようと思ったのに! しかも北極を見る側の席じゃなくてロシアを見る側の席だものだから、北極は座席についている液晶画面で見るのみ。北極が見られるのね、とワクワクしていた妻に申し訳ない気持ちにちょっとなる。「オーロラも見られるかもしれないぜ」とか言ってたのだけど昼間のフライトだからオーロラは見られなかった。よく知らないけどたぶんオーロラは夜に出るはずだ。青空にオーロラが出ている写真はあまり見た記憶がないから。それに、出るとしたらおそらく北極の側に出るのだろうという気もする。次に飛行機に乗るときは北側の窓ぎわの席に座りたい。

 飛行機で2食食べる。離陸してからすぐの晩ごはんはトマトソースのペンネ。日本時間で夜の12時とかそれくらいなので、娘は眠ってしまって、晩ごはんを食べず。着陸前の朝ごはんはオムレツみたいな炒り卵みたいなやつと角切りのポテトと豆。ほかほかの熱々でけっこううまい。晩ごはんに缶ビールを一本。朝ごはんにミルクコーヒーを一杯。

 ヘルシンキに着いたのはヘルシンキ時間の朝5時半。空港はまだ本格的に動いてない感じで、ムーミン・カフェも開いていない。キヨスクでオレンジ風味のチョコビスケットみたいなのを買うが、これが結構高くて、確か一箱で千円ちかくしたんじゃなかったかと思う。ここで今回の旅行で初めて英語でしゃべる。緊張しちゃって、クレジットカード使える? と聞こうとして、キャッシュカード使える? と聞いてしまうが、店員さんは慣れたもので、大丈夫、使える、とうなずく。このころはまだカードをカードリーダーに差し込んでいちいち暗証番号を入力していたのだけれど、フィンランドでもイギリスでもタッチ式の読み取り機が普及してるから、スマートフォンをかざしてピッてやればよかったんだな、と今になって思う。ロンドンでは、地下鉄でギターを持って歌う人も肩からカード・リーダーを紐でぶら下げていて、投げ銭をカードで支払えるようになってて、今回の旅行ではほとんど現金を使う場所がなかった。いや、いちおう100ボンドくらい現金を持って行ってたのだけれど、これは現金もカードも両方使える店で無理やり現金を使てどうにかがんばって現金を手放して行った感じで、絶対に現金でなければ買えなかったものは、教会の無人販売コーナーで買った絵はがきだけだった。

 ヘルシンキの空港は適度に木を使った内装で、新しく綺麗で、トイレの表示なんかがかわいらしい水色で、さすが北欧、と感心するおしゃれさ。荷物のエックス線検査をするところに木彫りの熊の人形が立っていてなごむ。

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 と、ヘルシンキの空港まで書いたところで今日はもう寝る時間になってしまった。今日はここまでにして続きは明日以降に書くことにする。本当は、イギリスのことを忘れちゃわないうちにどんどん書き進めておきたいんだけども。あれもこれも書いておきたい、とか思うと、長めになっちゃって困る。が、ともかく、今日はここまで。

 27年前にイギリスに旅行したときの日記は、2018年の「葱と蒟蒻の日々」

https://hidatomohiro.hatenablog.com/entry/20180828/p3

に載せているので。