イギリス旅行19日目

1997年9月15日、月曜日、晴れたり曇ったり

午後8時40分
 昨日の帰りの地下鉄あたりから、鼻水が出て熱っぽくなった。これは風邪をひくな、と思ってたら、やっぱりひいてしまった。といっても、まだそれほどひどくはないけれど。
 疲れが溜まっていたのと、栄養がかたよっていたのと、寒かったのが原因だと思われる。
 8時に起きて、だるい思いでめしを食った。そしてすぐに出発して、9時に駅についた。しかし、1Dayトラベルチケットは9時半からの発売であるのを忘れていた。仕方がないので、寒い中を、本屋でうろうろしたりして時間をつぶした。
 そして今日は初めからバスに乗った。12番でオックスフォードストリートまで行った。ここに139番というのがあるのだけれども、これは昨日僕が行ったアビーロードとベーカーストリートの両方を通ってネルソンまで行く。昨日これに乗ってれば時間の節約ができたのにと思った。
 オックスから7番に乗って大英博物館に行った。25ペンス大英に寄付をした。そしてエジプトの方から回って行く。ローマ人の彫刻はいつもチンボが抜けて、そこに穴があいていた。
 ロゼッタ石に触って、写真をとった。
 ソールズベリーのYHで話した日本人の男が言ってた通り、ここには日本人がたくさんいた。僕は日本人の女の子を見ていて、やっぱり日本人はいいなあと思った。G.V.似の白人女性も綺麗だけれど、やっぱり僕は日本人の女の子の方がいい。それと白人は食生活が悪いせいだと思うけれど、体じゅうそばかすの人とかがいる。イングリッシュブレックファーストは食べる姿は優雅だけれど、納豆ごはんの方が良いのだ。
 ブリティッシュミュージアムはとても広かった。じっくり見ないでぱっぱと見た感じで、3時間くらいしたら腹が減ったので出てきた。ミイラの写生をしている小学生の生徒集団がいて(みんな赤い服)、「こいつらはこういうのが見れていいな」と思った。僕が奴らと同じ年頃の頃のころは、一ノ宮の自然史博物館がせいぜいであった。
 ここを出て、歩いてチェリングクロスロードまで行った。めしやを探してたら、ベビーカーを転がしながら女の人が「このこのために金を下さい」と言ってきた。でも僕は小銭を大英Mに寄付をしてしまったので10ポンド札しか持ってなかったので、ソーリーと言って歩きすぎてしまった。
 その後3ポンド20ペンスという安いスパゲティー屋を見つけて入った。普通イギリスでスパゲティーを食おうと思ったら、安くても4ポンド25ペンスくらいである。そしてそこでカルボナーラをくった。けっこうおいしかったけれど、少し塩素の味がした。そして最後のTCをここで使った。いま手もとに10ポンドくらいあり、あとはシティーバンクに40から50くらいあるらしい。日本に帰っても円をあまり持ってないので、どうしたものだろうか。日本でもCCで切符が買えれば良いが。
 その後、さっきの母子に1ポンドくらいあげようと思ってたのだけれど見つからなかった。
 そしてフォイルズに入った。ここで弟と妹の本を買った。僕の自分の本も買おうかと思ったのだけれど、日本で紀伊国屋で買う方が、もしかしたら安いかもしれないと思い(だって『シャイニング』やら『ガープの世界』やらがペーパーバックで1400円もする。これじゃあ日本のハードカバー並みである)、よした。
 そしてOxford st.をとぼとぼ歩いてマーカスとスペンサーの地下の食品売り場まで行って、お土産を買った。それと、書き忘れたけれど、1日目に夕方フィッシャンチップスを初めて食った店らしき店は、フォイルズのある通りにあった。ここからオックスフォードサーカスまではけっこうあるので、我ながらよくもこんなに歩いたなと感心した。あの時は乗り物をほとんど使わないで、バッキンガムやらウェストミンスターやらネルソンやらビッグベンやらを見て回ったけれど、乗り物を使えば、もっと楽で楽しかったろうと思うけれど、まあ仕方がない。
 バイトのみやげは1200円くらいもするけっこう大きめなお菓子の詰め合わせを買った。だいぶ迷惑をかけてるだろうから。
 1階に登り、ふと小便をしようと思い立ち、近くにいたターバンの警備員に「トイレはどこか」ときいた。そしたら、「ダウンステアーズ」とバカにしたような顔で言い、「サンキュー」と言ったら、「アス」と言ったように聞こえた。聞き間違いか、それとも尻の他に何か違うアスがあるのか? でもトイレはなかった。嘘を教えられたのか、それとも見つけにくいところにあったのか? でもなんか感じ悪い。

 時間もあまっているので、ぶらぶらとオックスフォード・ストリートを西へ進んだ。こんなところ早くひきあげて日本に帰りたいなと思う。外人が多すぎる。

 ハイドバークまで来たので、中に入り、小便をしてぶらぶらする。でも、風邪ひいてだるいし、おみゃーげは重くなってきたし、手ごろなベンチは見つからないしで、嫌になって、またオックスフォード・ストリートに戻った。

 そしてバスに乗ろうと思いバス停を遍歴する。11番のバスが良いと「地球の歩き方」にあったので、11を探してけれども、見つかんない。地図を見たらオックスフォード・ストリートには通ってないらしい。ネルソンの近くに来るらしいので、12番に乗ってネルソンの向こう側までいった。3週間前に打ちひしがれてネルソンの石のベンチに座ったのを、再びネルソンを見たときに思い出した。ネルソンはあいかわらず柱の上に立っていた。夕方になりかけていたので、鳩は少なかった。

 で、11番に乗った。でもこれは、すごいのは最初の方だけで、ウェストミンスターを過ぎたらもう観光っぽいものはなくなり、たいしたこともない道を延々と進んで行く。ヴィクトリア駅(ここに来たときも、イギリスに慣れていなかった最初の日を思い出した)あたりで降りればよかったのだけれど、終点まで行ってしまった。

 そして道路の反対側に行き、今度は戻る11番に乗ることにする。ここのバス停は11番しか止まらないところで、人が結構いたので、11番のバスが来ても手をあげなかった。そしたらそのバスはそのまま行ってしまった。どうなってるんだ、こいつらは何を待ってるんだ、と思い、地図を見たりゴソゴソやってると、ふかし芋かなんかを食ってるおじさんが話しかけて来た。そして、丁寧に、11番のバスが止まる主なバス停を(僕はそれに乗ってここまで来たんだからわかってるのに)、芋を飛ばしながら教えてくれた。そして「どっから来たのか」と彼は聞いた。「ジャパン」と僕がいつものように1単語で答えると、彼は「ニッポン」と笑いながら言った。そしてそのときバスが来た。これはどうやら僕がここまで乗って来たのと同じバスで、車掌と顔を合わせるのが少し恥ずかしかった。

 僕がもたもたしていたので、おじさんが乗る前にバスは発車してしまった。でもおじさんは「ぴょん」と飛び乗り、僕の顔を見てほほ笑んだ。

 僕は2階に上がり、ずんずんと一番前まで行って座った。おじさんもついて来たのだけれど、真ん中へんに座った。もう少しコミニュケーションをとっとけばよかったなあと少し後悔してる。

 再びネルソンまで戻る。7時くらいになっていた。139のバスに乗ろうと思ってタイムテーブルを見たら、どうやらこれでは晩飯に間に合わなそうである。しょうがないのでチューブに乗った。

 ゴルターズ・グリーフに着いたのは7時35分頃で、それからヴォルヴィックを買って帰った。

 晩飯には間に合った。麻婆丼の豆腐抜きのようなものであった。ガツガツ食った。みんなイギリスの料理はまずいというけれど、僕はそれほどまずいと思わない。おいしくはないけれども、それほどひどくない。

 部屋は今朝までいた人々が引き払ってしまっていて、僕ひとりしかいない。ひとりはやっぱり少しさみしい。たとえ寝ていても、外出していても、ひとこともしゃべらなくても、誰かが同じ部屋に泊まるのだと思うと、それほどさみしくない。ここまで書くのにぶっ続けで1時間20分かかった。もう10時である。明日の今ごろは飛行機の中だと思うと少々さみしい。100パーセント楽しいことだらけではもちろんなかったけれど、イギリスを去るのは、そして日本の日常生活に戻って行くのは、少々さみしい。