イギリス旅行16日目

1997年9月12日 くもりのちはれ

午後2時47分
 ヨークのYHでのんびりと2泊して、ぶらぶらヨークを歩きウィンダミアの疲れを癒そうかと思っていたのだけれど、ヨークには1泊しかできなかった。今日はベッドがいっぱいなのだそうだ。しかたがないのでまた重いバッグを背負ってヨークを歩いた。
 さらに、次の目的地であるノッティンガムにはYHがないので、近くの村のYHに泊まることにした。しかしそこにゆく列車が少ない上にえらく時間がかかる。だからヨークには2時半くらいまでしかいられなかった。まあ、それほど見るものもなさそうなので良いか、とも思うのだけれども、もうちょっとぶらぶらしてみたかった。せっかく大金払ってヨークまで来たんだものね。
 さて、ヨークのYHにも日本人はいた。同じ部屋に中央大学の学生がいた。聖蹟桜ヶ丘に住んでいるそうである。どっかで会ったことがあるかもしれない。
 彼とはあまり話をしなかった。昨日はずっとTV室で映画をみていた。でも何を言っているのかわからないので、筋が全然わからなかった。ジョディーフォスターとなんとかという人が出てて、開拓時代のアメリカっぽい所で、フォスターの旦那が6年ぶりに帰って来たけど、実は違う人だった、というような話。どっかでこの映画のことを読んだことがある。
 さて、今日YHを出てまず駅に向かった。そしてAmbergateに行く列車のタイムテーブルをきいた。それから城壁の上を歩いて、クリフォードタワーに行った。上にのぼったらけっこう怖かった。その後キャッスルミュージアムに行った。重いリュックサックを担いでいるし、時間はないしで落ち着いてみられなかった。
 ここのTVの展示のところにベトナム戦争かなんかのパネルがあってそこに写っている泣きながら裸で歩いている女の子(だと思う。ちんぼが写ってなかったから)が同じクラスのKにそっくりで驚いた。
 次にバイキングセンターに行った。ここは噂通りくさかった。燻製ソーセージの匂いに少し酢酸カーミン溶液の匂いが混じったような匂いがしじゅうしてて、ときどき僕の靴の匂いと同じ匂いがした。
 ここを出ると、1時くらいになっていて、腹が減っていたので、レストランを探しがてら、シャンブルズに行った。ここは中世の家が見られるというので、少し楽しみにしていた。で、行ってみると、「地球の歩き方」に写っている所しかそうなっていなかった。もっと色々うろうろしたかったのだけれど、なんせ時間がなくて、F&Cをそこらの店で食って(ここの店員はえらく愛想が悪かった)、ヨークミンスターに向かった。
 ヨークミンスターはカンタベリーミンスターを思い出させた。でも、中に入ってみるとカンタベリーのよりも明るくてごちゃごちゃしていなかった。でかいステンドグラスがあったけれども、あまり感動もしなかった。もういっぱい見たし、第一、はじめからステンドグラスには興味がないのだ。でも、5sistersというやつはなんかすごかった。ステンドグラスのくせに暗くて、カラフルじゃない。なんか薄黒いのがぐしゃっごしゃっ、となってて、しかもでかくて、これは何か感じるものがあった。
 外に出ると、日が出ているのに風があるので寒かった。だんだん冬が近づいているのだ。
 駅について、小便して列車に飛び乗った。今日は雲がもくもくしていてかっこいい。写真を撮ろうと思ったけれど、やめた。こういうのは写真には写らないのだ。写らないというか、写真じゃわからないのだ。実際に生で見ないと、その良さは感じられない。

午後11時8分
 今、ダービーのロイヤルステュアートホテルにいる。ここに着くまでにえらい目にあった。この旅行中で一番えらい目だ。まず、4時40分頃ダービーについた。ここまでは予定通りであった。で、5時44分のアンブルゲート行きの列車をぶらぶらしつつ待つ。でもその列車はやって来なかった。タイムテーブルのテレビ画面を見たら、なんと、キャンセルと出ている。どういうことなんだと思いつつ、仕方なくギャッツビーを読みつつ、7時2分の次のを待つ。これは4時半にヨークを出れば乗れる列車で、はじめからこれに乗る気だったらもう2時間ヨークにいられたのだ。
 それと、その間にYHにTELした。「遅れる」と言ったら、ベッドを用意して待ってる、と電話のお姉さんは言った。
 やっと列車が来てアンブルゲートへ行く。7時18分についた。そしてYHの地図にしたがって山に入って行く。しかし行けども行けどもYHはみつからない。そして大きな道に出た。地図を見たらYHを通り過ぎていた。あたりはだんだん暗くなってくる。で、今度は違う道からYHに行く。こっちの方からの方が簡単そうである。もうこの時は8時を過ぎていた。夕食を食べられるかなと心配しながら暗い山道をわけいって行く。
 これもまたえらく遠かった。しかも暗くて怖い。途中に岩の壁のようなのが左手に切り立っていて、すごく怖い雰囲気である。ろくに足元も見えないような山道を何分も何分も進んだ。山小屋のような建物があり、その先にYHがあった。でもなんか様子がおかしい。明かりがついていないのだ。窓を叩くが誰も出て来ない。というか、誰もいない。これはやばいと思ったもうあたりはまっ  暗である。がさがさと動物がうごめいている。
 しかたがないので、靴の紐を締めて、まっ  暗な道を戻る。これはかなり怖かった。こんなところにいたら死んでしまうと思った。僕は死にたくない、とまじで思った。死にたくないので走った。熊に殺されるかもしれない、山犬に食べられるかもしれない。こんなところで死にたくない、と僕は思った。
 しかし、なんでYHは閉まっていたのだろうか。予約したし、遅れると電話までしたのに…。謎である。
 大きな道に再び出たとき、僕はこれで死ななくてすんだと思った。これで生きられる、と。性欲も食欲も排泄欲も、今はどうでも良かった。ただ生きたかった。
 その山道の入り口にはおじいさんとおばあさんが住んでいて、犬を飼っていた。そして僕が山道からハアハアいいながら走り出てくると、犬が吠えて、おじいさんが出てきた。そして僕は、
「道に迷ったんです」と言った。おじいさんは、
「ホステルが山の中にあるよ」と言った。
「でも、人がいないんです」と僕。
「閉まってるのか…」
 そして後ろからおばあさんが、BBがなんとかと言った。爺さんは、「駅のそばにBBがあるから、そこに行きなさい」と教えてくれた。僕は今度はアスファルトの道を歩いて行った。これもまた長かった。途中で車がびゅんびゅん通って怖かった。
 駅の近くを行ったり来たりして探すけれどB&Bはひとつもみつからなかった。ホテルがひとつあっただけだった。9時頃になっていた。もうここでいいやと思って入った。いぢわるそうな親父が出てきて、キャッシュかカードで70ポンド15ペンスだと言った。いくらなんでも高すぎる。疲れて落ち込んでいたけれども、泊まるのはよした。夜中歩こうかとも思ったけれど、ここは外国だし死にたくないので、とりあえず駅に行って列車があるか見てみよう、ということになった。
 タイムテーブルは暗くてよく見えないけれども、月明かりでなんとか見る。すると次の列車まで40分くらいあった。
 ホームに座ってペパーを聴いた。歩き回っている時はそれほどでもなかったのだけれど、この時はけっこう寒くなった。震えながらテープに合わせて歌っていた。
 何しにここまで来たのだろうかと思った。こんなことなら、ヨークかノッティンガムでBBに泊まった方が良かった。効率的だし、安くあがったろう。この列車もキャンセルになったら、とか、ダービーでもBBがみつからなかったらなど色々心配した。
 空が怖かった。月の周りを雲が流れて、それがとてもおどろおどろしくて、ずっと見ていられなかった。
 列車はちゃんと来た。僕は列車に乗って、やっと人心地がついた。そしてしばらく震えていた。でも、これでとにかくどこかへいける。
 車掌から切符を買った。小銭が1ポンド50ペンスしかなかった。切符は1ポンド60ペンスだった。でも車掌はおまけしてくれて、1ポンド50ペンスで売ってくれた。そしてダービーにはBBあるかときいたら、いっぱいあると教えてくれた。
 ダービーは人が少なくて怖かった。そして急いでBBを探したけれど、なかった。あるのはホテルとインだけ。で、ぐるっとひと回りしてから手近なホテルからためして行った。2つだめで、その2つのホテルで教えてもらったこのホテルにチェックインした。30ポンドくらいらしい。TCで払ったらお釣りは鍵を返してくれたら返すと言った。リバプールのYMCAの時は2ポンドだったけれど、ここはその10倍である。
 風呂に入った時はとても幸せだった。思わず声が漏れた。
 今TVにエルトンジョンが出てる。彼はくそったれである。ダイアナで金儲けをしようとしてる。