イギリス旅行 その5

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 自然史博物館に向かって歩いていると、背の高い黒人の人が自然史博物館の門から出てこちらへ向かって歩いて来た黒人の人が背が高くてすらっと痩せていて黒い服を着たこの黒人の人はファッション誌の、良くは知らないけど『ファッジ』とかそういう雑誌のロンドンの街ゆく人のファッション特集とかに出てきそうなかっこ良い人で、だけど気取ってカッコつけてるという感じじゃなくて、普通に普段からかっこいい格好をしているのだろうな、という雰囲気の人で、履いているスニーカーが黒のエア・ジョーダン4で、メッシュの部分が黄色いやつを履いていて、エア・ジョーダン4はこの先も何度もロンドンで見かけた。エア・ジョーダンはロンドンでも流行っているらしく、流行っているというか、もう、普通に普段ばきのスニーカーみたいな感じで大人も子供も男も女も気軽にロンドンでは日本と同じか日本以上に気軽に履いていて、だけどロンドンで見かけたのはほとんどがエア・ジョーダン1とエア・ジョーダン4を履いている人が圧倒的に多くて、そのほかの2とか3とか5とか6とかはほとんど見かけなかった。ロンドン滞在の最後の日に「プライマーク」で服を見たんだけど、プライマークで売ってる安いバッタもんのスニーカーもエア・ジョーダン4のコピーの合皮の真っ白いやつだった。

 ロンドンにいる間は博物館とか美術館とかにいくつも行ったのだったが、そういうところはきっと世界中から人が集まって来ているはずだから、そこでエア・ジョーダン4を見かけてもそれがロンドナーが履いているエア・ジョーダンだとは限らない、世界中でエア・ジョーダン4が流行っているのだろうか、色も様々で真っ青のやつとか真っ黒のやつとか白いのとかクリーム色のとか、ほとんど白だけどメッシュとかかとが緑のやつだとか、20人くらいはエア・ジョーダン4を履いている人を見たはず。エア・ジョーダン1は30人くら履いているのを見たが、エア・ジョーダン1は日本でもたくさん履いている人がいるから特に珍しくもなくて、だけどエア・ジョーダン4の方は日本ではこんなにたくさんは見かけない。

 僕は中学と高校がバスケ部だった。中学も高校も着ている服はみんな同じジャージか制服で、そうなると何で自分らしさを出すか、ほかの人との違いを出すか、カッコつけるか、自分で毎日自分のそれを見て元気を出すか、ということになるとそれはもうスニーカーしかなくて、僕が中学に入ったのが1990年で、その年はエア・ジョーダン5が出た年だったはずだけど、群馬の山奥の中学のバスケ部でエア・ジョーダン5を履いている人はまだいなかった。バスケ部の部員がエア・ジョーダンを履き始めたのは次の年に出たエア・ジョーダン6からだ。

 僕が中学に入ったときはほとんどの先輩がアシックスのバスケット・シューズで、先輩たちはバスケット・シューズのことを「バッシュ」と呼んでいて、4月に入部するかしないかの頃に「バッシュ買ったか?」とか聞かれた僕はバッシュの意味がわからず、先輩が突然なにか「バシューッ」と意味のわからない音を出した、と思って愛想笑いをしてうなずいてみただけだったのだが、バッシュは一年生は入部してすぐは布バッシュを買う決まりになっていた。バッシュには布バッシュと革バッシュの2種類があり、布バッシュというのは今はよく街で履いている人を見かけるコンバースの「オールスター」みたいなバッシュのことで、だけどコンバースなんか履いているとそれはそれで「生意気」ということになるから買ってもいいのはアシックスかランバードの布バッシュの二択になる。あとは、例外的に、兄ちゃんがバスケ部だった人は兄ちゃんのお古の革バッシュだったら入部してすぐに革バッシュを履いても良いことになっていて、そういう人は「あ、イシイさんの革バッシュだ。おまえ、イシイさんの弟か?」ということになって、イシイさんという卒業した先輩がバスケがうまかった先輩で、なおかつ後輩に優しい先輩だったりすると、イシイさんの弟の一年生は二年生と三年生にかわいがられるんだった。

 1年生は1学期が終わって夏休みに入り、三年生が引退するあたりになるとぼちぼち革バッシュを買ってもいい雰囲気が出て来る。それで1年生は誰かが学校に持って来た『月刊バスケットボール』にいっぱいいろんな店のやつが載ってるバッシュの通信販売のページをみんなで丸く囲んでのぞきこんで、どのメーカーのマークがかっこいいか、メーカーのマークの色は何色が好きか、と何十分でも吟味に吟味を重ねて、そこに写真が載ってる革バッシュを自分が履いてバスケをする姿を想像する。

 僕は中学の同級生のバッシュのことならば、あれからもう三十四年も経つことになるけど、誰がどんなバッシュを買ったかを今でもまだ覚えている。あきちゃんはナイキの線が青いやつを最初に買って、次にエア・ジョーダンの6の青いやつを買った、ヨシダはアシックスのジャパンで、次にやっぱりエア・ジョーダンの6のカーマインという色のを買った、ウラノ君はアシックス、まーちゃんはランバード、たかちゃんとオカノくんもランバード、サセ君はナイキのエア・フライト・ライト、イシイくんはしばらくお兄ちゃんのお古のアシックスの線が黒いやつを履いていたけど、洗濯機で洗ったって言ってて、くるぶしのところの皮がはがれてザラザラになってるやつで、それを履きつぶしたあとでリーボックの線が緑のやつを買った、なかっちゃんは最初はアシックスを買ったけど、次にリーボックのまっ黒いのを履いて、それから最後はナイキの180を履いていた。トシちゃんは夏休みに入るか入らないかの時に同級生の中で一番最初に革バッシュを買ったんだったが、どのバッシュが一番かっこいいのかわからなかったからとにかく値段が一番高いやつを選んだと言っていて、それが「ウィルソン」という誰も聞いたことがないメーカーのバッシュで(ウィルソンのボールはバスケ部にいくつかあったけど、ウィルソンがバッシュを出してるなんて誰も知らなかったし、ウィルソンのボールよりもモルテンのボールの方がはずみ方が気持ちいいとみんな言っていてウィルソンはボールも人気がなかった)、そのデザインがダサい、ダサいのに2万円もする、プラスチックの部分がすぐに割れる、ということで部員全員から笑われてたから、次はエア・ジョーダンの7を買ったのだけど、ダサいと評判のトシちゃんが履いたものだからエア・ジョーダン7はダサい、エア・ジョーダンがカッコよかったのは6までだ、ということにバスケ部の中では決まってしまって、だから僕はあれから三十三年くらい経つ今になっても、エア・ジョーダンがカッコよかったのは6までだ、と僕が思い込んでいる気持ちが変わらない。

 顧問のカネコ先生は「バスケ部にとってボールとバッシュは命だ」と言っていた。だからトシちゃんは夏休みに部活に行く前、むき出しのバッシュを家の食卓の上に乗せていて、お母さんに「トイレに履いて行く靴をご飯食べるとこに置くな!」と怒られたときに「あのね、お母さん、バッシュは命なんだよ」とお母さんを諭すように言っていたが、トシちゃんのお母さんは「それとこれとは違う」とため息をつきながら言って、トシちゃんを迎えに行っててこの場面を見た僕も「たしかにお母さんのいう通りだ」と思ったけどトシちゃんは「まったく、お母さんはぜんぜんわかってないんだから」と言っていたトシちゃんが今では地元で建設会社か何かの会社の社長をしているらしい。

 たかちゃんとサセくんがケンカしたとき、あれはたかちゃんのヒジがサセくんに当たっちゃったとかなんかだったと思うが、たかちゃんが何度も「ごめんね」と謝ってもサセくんは顔を真っ赤にして怒っていて、部活のあとでたかちゃんが部室の前の水道のところで脱いだバッシュを流しのコンクリートの上に乗せて水を飲んでいるか何かしているときに目を三角に釣り上げたサセ君がのしのしとやって来て、たかちゃんのランバードのバッシュの片方を取り上げると、思い切り校庭の地面にバシン!と叩きつけてそのまま部室に入って行ったら、温厚で有名なたかちゃんが激怒して「痛えな!」と叫んで部室に飛び込み、サセくんと殴り合いのケンカになった、というのは、やっぱりバッシュが命だったからだ。たかちゃんは20代の終わりか30代の始め頃に死んでしまった。部長をやってたあきちゃんも去年死んでしまった、救急車を呼んだけど間に合わなかったらしい。あきちゃんは僕らのバスケ部の同級生の中で初めてエア・ジョーダンを履いた子だ。エア・ジョーダン6だ。ナイキのマークもついてないし、穴だらけだし、つま先に補強の皮がついてないし、なんだこのバッシュは、これでもバッシュか? と最初このバッシュを見た僕らはみんなびっくりしたものだ。

 バッシュは僕はそういう中学のときのいろんな思い出があるから、僕は今でもバッシュを履いている人を見るとどうしてもその人の足元を見ちゃうし、中でもエア・ジョーダンは特に気になるからついつい「あ、あのエア・ジョーダン4はメッシュが黄色だな」とか「この人がはいているエア・ジョーダン1はつま先のところだけ黒い色で珍しいな」とか思ってついつい見ちゃう。

 さて、自然史博物館はものすごい行列だったのだけど、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の方はそれほどでもなくて、並ばずに入館できて、ここはトイレが綺麗で、ロンドンはトイレが少ない、駅にトイレがあるとは限らない、という話なので、博物館や美術館に入るたびにトイレはたとえ行きたくなくても行っておいた方がいいのだからここのトイレでトイレをして、スッキリしてから地図をもらってまず向かったのはどの部屋だったろうか、日本のものが色々おいてある部屋だったろうか、日本の部屋には携帯電話の「錦鯉」がケースに入って展示されていたのを覚えている。あとはロリータ・ファッションの服を着たマネキンもいた。