イギリス旅行13日目

1997年9月9日、火曜日、今日は珍しく雲ひとつない真っ青な青空。イギリスに来て、初めてである。

 さて、昨日の夕方、列車は車掌さんがいった通りに乗り換えがあり、ばっちりとウィンダミアについた。途中の駅で15分くらい列車が遅れた(オクストンホルムで)けれど、でもちゃんとついた。
 駅前にYHのワゴンがいた。どうやら、これで、ただでYHまでつれてってくれるらしいので、さっそく乗った。後から韓国人の女の子と日本人の男の子が乗って来た。
 ウィンダミアのYHにつき、サンキューベリーマッチと言って降りる。僕が一番にレセプションまで行った。そしたら、レセプションのお姉さんに、「You are lucky, the last bed」とかなんとか言われた。つまり、僕で最後のベッドがなくなっちゃったわけで、あとの2人は失意のうちにまたワゴンに乗ってアンブルサイドまで行くハメになった。気の毒だけれど仕方がない。部屋に行くと「地球の歩き方」を読んでいるアジア人がいた。香取慎吾ショーケンを合わせて2で割ったような顔で、角刈りであった。
「こんちは」というと、「こんちは」と言った。はたして、日本人であった。性格、というか、話し方は高校の時のNに似ていて、ちょとFSAの後輩のYも入っているかな、という感じであった。彼は岡山出身の明大だか明学だかの人で、1年である。
 彼と色々しゃべった。僕は昔、ほとんどしゃべらない子供だったけれど、年とともに少しずつしゃべれるようになってきた。女の子とだと、ちょっとまだうまくしゃべれないけれど。女の子だと、あまり目をじっくりと見れない。
 女の子としゃべれないのは、女の子を友達としてではなく、女の子として見てしまうからだと思う。つまり、恋愛対象として見てしまう。というか、女の子にはよく見られたい、良い人だと思われたい、かっこいいとこ見せたい、というような気持ちが出てきてしまって、しどろもどろしてしまうのだ。
 めしの時間になった。僕は遅く来たので、夕めしの注文はできなかった。だから、彼は食堂に行って、僕は外に何か探しに行った。書き遅れたけれど、彼の名前はYである。
 坂を下って行く途中に「地球の歩き方」を持った女の子がいた。上っていた。僕は「こんちは」と言った。そして、「YHに行くんですか」とたずねた。相手がうなづくか、「はい」と言うかしたので、僕は「もういっぱいですよ」と教えてあげた。こんなことはめったにできないことである。イギリスにきて、僕も少し成長したのだ。
 でも、彼女は予約してあったので、僕の親切はあまり役に立たなかった。でも、初対面の女の子に親切に教えてあげるということができたこと自体、すごいことなのだ。人からみれば大したことじゃあないかもしれないけれども、僕にとってはすごいことなのだ。
 坂を下りきり、少し駅の方に行くと、カップラーメンらしき物を持った日本人らしき青年に会った。彼はむっつりと行ってしまった。会釈も、にっこりとすることもせずに。僕も、たいがい日本人と会ってもむっつりしているけれど、良くない。にこにこと生きるべきであろう。それは、愛想笑いでしか、今の時点では、ないのだけれど、自然ににこにこできる人間になりたい。心の底から、生きる喜びで、にこにこしているような…。
 で、僕もカップラーメンが食べたくなって、彼が出てきたらしきドラッグストアに入る。そしてカレー味のを買ってお湯を入れる。でも、これはラーメンではなかった。ヌードルの代わりにライスが入っていた。あまりおいしくないのだけれど、腹へってたので悪くなかった。ホシイイみたいで悪くなかった。
 腹五分目くらいだったので、もうひとつ買った。今度はちゃんとヌードルを買った。これはチキントマト味、両方ともひとつ95ポンド。そして、こっちの方がまずかった。麺は固いし、トマトはすっぱいし。気持ち悪くなった。そのほかにスニッカーズとボルビックも買って帰った。
 YHに戻ると、Y君は女の子と並んでロビーに座っていた。彼は女の子もあまり意識しないのだろう。僕にしゃべるのと同じように女の子ともしゃべっていた。そして、夕食はまずかったそうである。
 僕もY君の隣に座った。8時くらいであった。3人でイギリスのどこが良いか、どこに行くべきかを話した。といっても、僕はもっぱら聞き手、と言うか、だんまりだったけれど。その後、女の子の連れが来て、その子と女の子が席を変わって、で、連れ(眼鏡をかけた女の子)と今度は話す。もう一人の、短い髪の子は、今度はテーブルについて、手紙を書き始めた。それまで眼鏡の子は手紙を書いていたのだ。
 3人はそれぞれ「地球の歩き方・イギリス」を持っていたのだけれど、3つとも古さが違って、女の子のは93−94で、Y君のは97−98で、僕のは98−99で一番新しかった。
 そして、またしばらくすると、もう一人日本人が加わった。この人は、カップライス片手にむっつりと道路ですれ違った彼であった。彼はオックスフォードだかストラットフォードだかで僕を見たような気がするけれど、やっぱり違ったかもしれないと言っていた。
 その後の話はほとんど彼と女の子達の間で交わされ、たまにY君が口を入れ、僕はほとんど黙っていて、時々何か振られて返事をする、と言う形で進められた。
 この会話会は結構おもしろかった。日本人達とこんなに話をする(聞く)のは夏合宿以来だし、女の子はイギリスで学校に行っているというので、僕の知らない世界の話も聞けたしで。
 茶色っぽい髪の子は1年だか2年だかイギリスにいて、もうすぐ日本に帰るらしく、眼鏡の子はこれからイギリスの学校に行くらしかった。2人は中学からの友達で、なんだかんだ、ということであった。世の中にはいろんな人がいるのだなと思った。同じ年くらいの子がイギリスで生活しているのだ。しかもいっぱい。こんなことはあまり考えたこともなかった。それと眼鏡の子は阪神大震災を経験したそうである。本棚が倒れたとかいってた。震度15だとかいってた。短い髪の子はこれから関西に帰るのだけれど、震災の前にイギリスにきたらしいので、どう変わっているか楽しみだといっていた。
 世の中にはやりたいことを一生懸命にやっている人がいるんだなあと感心した。サッカー好きの人がイギリスに来て、毎週日曜日に近所のサッカーゲームに行っているというのを女の子から聞いた。僕も何かやりたいことをとことんやりたい。日本に帰ったら、もっとベースを好きになれるかしらん。
 それと「彼」はぶさいくなくせによくしゃべる男なので、ショートの女の子とかなり仲良くなって、彼女は彼に「日本に帰ったら遊んでよ」と冗談めかして言っていた。これで本当にこの2人が日本で会って、ドライブなんかして、付き合うようになったりなんかしたら、すごいなあと思う。こんなところでも出会いがあるのだなあ。
 11時くらいにおひらきになり、シャワー浴びて寝た。
 それと「BEAN」が結構有名なのに驚いた。Y君とか、その他の幾人かの人が知っていた。
 朝飯の時、女の子2人が食堂に入って来た時、僕は彼女達だとわからなかった。眼鏡の子は眼鏡をしてなかったし、ショートの子は顔がむくんでいた。
 またいつもと同じようなめしをくい、食堂を出る。そしてそれっきり女の子たちには会わなかった。
 その後、カップポリッジの彼にシーツはどうすれば良いのか聞かれて、そして彼とはそれっきりであった。
 次のYHを予約してYと一緒に出発する。そして坂を下りたところで彼と別れた。彼は、「また、世界のどこかで」と言った。でもぼくは、二度と会えないだろうなと思った。一期一会であろうと。
 アンブルサイドあたりまでまた、車がびゅんびゅんの道を歩いた。湖水地方にきたのは、大自然を堪能するためなのに、またエクセターの二の舞である。いらいらして来た。どれほど時間を無駄にすれば気がすむのだ、と。
 で、何回か山道に行こうとしたのだけれど、その道が人のうちにいつも続いていて、全然だめだ。1度などは、人んちの牧場の羊番の犬に追っかけられて、必死で走って逃げた。
 どっかで犬が鳴いてるなと思ったら、だんだん近づいて来る。そして後ろを振り返ると、黒い犬と色を忘れたけどもう一匹犬が、飛び跳ねながら走って来る。僕は小さい頃お母さんに教えてもらった、「犬は走ると追いかけて来るから、じっとしてたほうがいい」という言葉を思い出したのだけれど、じっとしてると食い殺されそうに思ったので、坂を駆け下りた。車の道まで来たら、もう犬は追って来なかった。
 その後狭い道を歩っていたら、タクシーの助手席に乗った男に「ファック!」と腕を振り上げながら怒鳴られてしまった。とても惨めな気持ちになった。
 しかし、ついに山に登る道をみつけた。とてもブルーな気持ちだったのだけれども、高いところに登って景色がすごくなるに連れ、良い気持ちになった。でも、この道はYHから来て、僕が入った所で出て来るはずの道だったので、僕はまるっきり無駄に道路を歩いて、そしてまた、無駄にYHまで一往復することになることになるかもしれないききにたたされた。
 でも、2時間かそこら山道をうろうろして、適当な所で下に降りた。この間にスニッカーズを食べた。ここの山の景色は本当によかった。
 イギリス人は山とか、田舎の方に行くと、すれ違うときに、知らない日本人にでも、笑顔で「ハロー」と言ってくれる。日本人はこういうことあまりないような気がする。それは僕が最近日本の田舎に行ったことがないからだろうか。でも、下丹生を知らないインド人が歩いていても、人々は多分「こんにちは」なんて言わないんじゃないかと思う。そういうところは見習いたい。今度日本で田舎に行ったら、なるべく挨拶したいな。
 で、適当な所で降りたら、朝通った道の半分目くらいのところに降りてしまった。そしてまたアンブルサイドまで道路を歩く。そしてアンブルサイドで地図を買った。
 ここのキヨスク(地図を買ったとこ)のお姉さんは感じよかった。モンゴロイドでもバカにせず、にこっと、「袋入れますか」ときいてくれた。「パードゥンミー」と言っても嫌な顔せずに袋を取り出しながら、「バッグ。」と丁寧に教えてくれた。こういうのは良い。逆に、バカにされてじゃけんにされると、感じ悪くて、もう二度とこんなところ来ねーぞと思ってしまう。ひどいときにはそれによって一気にブルーになってしまう。僕も啓文堂でにっこり、親切に本を売りたい。ひとりで外国に来て、そういうことの大切さを身に染みて感じた。こういうことは、『戦争と平和』を読んで、バイト行って、スパゲティー作って…、という平和で退屈な生活を送っていたのではあまりわからないものである。この夏にイギリスに来て、本当に良かったと思う。日本ではなかなか得られない体験を数多くした。こういうのは30万以上出しても、全然やる価値のあることだ。
 地図を見て田舎道を探してぶらぶらしていると、Yに会った。2時くらいだった。彼はチャリンコで湖の南の方へ行って、船に乗って、西側から北をまわってきたのだ。もう二度と会わないだろうと思っていたのに。
 そして2人でアイスクリームをくった。「また、どこかでばったり…」と言って、彼はウィンダミアに戻って行った。新宿あたりで会うかもしれない。会いたいものである。1年後くらいに。
 その後、僕は地図のおかげで順調に田舎道を探り当て、とぼとぼと北上して行った。そして道ゆく人々に「ハロー」「ハロー」と挨拶をした。イギリス人は本当によく挨拶する。そしてよくにっこりする。よく感謝し、よく謝る、僕もこうありたい。
 しかし本当に疲れた。そして、午前から正午過ぎあたりまでいた、山の上の景色以上にすごい景色は見れなかった。朝YHから山を通ってくれば、無駄なくたくさん見れたのに…と思うと、悔しい。
 どっかの湖の前のベンチに、「地球の歩き方」を膝に乗せた、割とかわいい女の子が座っていた。僕は「こんにちは」と言った。こんなことはロンドンやリヴァプールや、はたまたストラットフォードでさえできなかったことである。これは田舎のおかげだ。田舎にいるイギリス人がよく挨拶するのに感化され、しかもあまり日本人がいなくて、しかも気持ちが良いからだ。女の子もにっこりと「こんにちは」と言った。
 そしてまた歩きに歩いた。挨拶しないむっつり型イギリス人にもたまに会った。イギリスにだって僕みたいなやつもいるのだ。
 結局20km以上歩いたと思う。結構こたえた。道路を歩いたのは特にこたえた精神的にこたえた。
 やっとYHに(グラスミアの)着いてシャワーを浴びた。ここに泊まっている人はとても少なく、10人ちょっとである。もっと手前にあるYHはいっぱいで、予約もできなかったというのに。みんな結構めんどくさがりで、手前の方にばっか行っちゃうのだろう。
 そしてここの夕食はかなり良かった。たいしてうまくはないけれど、ボリュームがあった。スパゲティーがやっと食べられた。食堂のお姉さんも感じが良かった。カンタベリーのYHよりも良い。今までくったYHの夕食の中で一番良かった。コーヒーもちゃんとしたやつで、うまかった。同じテーブルのおじさんも親切で良かった。しかし、そして、日本人が一人もいない。日本人は特にめんどくさがりやだから手前の方のに泊まってるのであろう。
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