イギリス旅行10日目

1997年9月6日、土曜日

ダイアナが死んだ。昨日、同室の日本人が教えてくれた。どうも最近、TVでバッキンガムやダイアナをやってたり、1961-1997と書かれたダイアナのポスターを見かけたりしたから、なんかあったのかなと思ってたんだ。でも「バックトゥーなんとか」とか書いてあったりもしたから、またよりを戻したのかなとも思ったりもしてたんだけど。4日くらい前といえば、僕がストーンヘンジを見ていた頃だ。さっきニューズペイパーを買ったので、よく調べてみよう。
 さて、昨日の続き。ギリギリセーフで駅についたはずだったのだけれど、僕は17時17分と勘違いしてて、結局乗れなかった。仕方ないのでホテルを探してウロウロする。しょんべんしたかったのだけれど、1時間ほど我慢してたら、あんまりしたくなくなって来た。こういうのは体に悪い、と母親だったら僕にいうだろう。
 YHブックを見たらこの街にもYHがある。しかし、駅からは街を抜けた反対側である。でも仕方ないから、ずるずると歩って行く。ベッドがうまっちゃわないように急いで歩いた。
 途中橋の上で見た景色はすごく綺麗だった。空と雲と城と木と川。こういうのはやっぱり歩かなければ見ることができない。ざまあみろと(誰に向かっていってるのかわからないけれど)言う。
 YHで荷を置き、めしくいに町に戻る。途中けもの道のような所を通って、橋の下まで行った。また、ざまあみろと思う。
 レストランはみつからなかった。みつけても高かったり、入ってみたらみんなで酒を飲んでたので出てきちゃったり、ばかにしたような顔でもう席がないと追い払われたりして、なんかとても沈んでしまった。
 ドラッグストアでリンゴとミルクとスニッカーズ2つ買って歩きつつ食べた。橋の上から見た夕焼けは綺麗だった。
 帰りに墓地を通って行く。りんごはすっぱくて、すかすかしてて、これ以上食べたらお腹を壊しそうな予感がしたので、お墓の一つにお供えしてきた。ところで、イギリスではよく、墓石で歩道をしいてある。百年くらい前の誰も覚えていないような墓石で。日本人はこんなことまずしないのではないだろうか。イギリス人は何を思ってこういうことをするのか。それと、ここで思ったのだけれど、僕は幼い頃ほど死について考えなくなってしまった。十何年か前は死について想像すると、さーっと怖くなってドクンドクンして、死んでしまうのなら、生まれてこなかった方が良かった、などと思ったりしたのだけれど、怖いからあまり考えまい、とつとめているうちに、だんだん考えられなくなってしまった。これは不幸なことである。人は死を意識して、初めて生を意識できるのだから。
 YHに帰ってシャワーを浴びた。本読んでたら、日本人が入ってきて、こんにちはと言った。そしてダイアナ。
 寝て起きた。2人でめしくった。彼はバスパスで旅してるそうである。バスの方が安いらしいのだけれど、どこでどう乗るのかわからんので、とりあえず電車で旅しよう。
 さいならと言って駅まで歩くと、2分前にリバプール行きが出たところだった。いっつもこれである。仕方ないので新聞を買った。今日、ロンドンでダイアナの葬式があるみたい。せっかくUKにいるんだし、見てみたいなとも思うのだけれど、別にダイアナファンでもないし、野次馬根性は良くないので、このまま旅を続けることにする。

午前10時50分
 新聞を読んでみると、ダイアナが死んだのは日曜の夜らしい。日曜といえば、僕はバースのYHに泊まってた。

午後7時
 リヴァプールについて、YMCAにチェックイン(ここのYHは閉鎖されている、とチェスターのYHの人に言われた)した。2日泊まることにする。2日で27ポンド。ここで初めてトラベラーズチェックを使った。
 町にくりだす。しばらくぶらぶらしてiをみつけて入り、マジカルミステリーツアーに申し込んだ。思ったより、簡単、スムーズに申し込めた。そして地図など買い、バスを待つ。

午後7時45分
 バスには僕の他に4人日本人が乗った。2人組の女の子と2人組の男の子。あと一人30くらいの男がいたけれどこれは日本人だか中国人だかわからなかった。一人なので誰とも喋ってなかったからである。
 しかし、やっぱり一言も話さなかった。
 バスはジョンの両親の家やスチュの美術学校などを通って、ペニーレインの標識の前で止まった。そんでみんなで降りてポツリポツリと写真をとる。僕はカメラを持ってこなかったので遠くで見てた。その後、ペニーレインの床屋の前などを通って、ジョージの家まで行く。ここでもみんな写真をとる。あとはポールの家やストロベリーフィールドなどに行ったけれど、ここでもちょっと止まって写真を撮るだけである。なんだか証拠写真を撮るためのツアーみたいだ。
 最後にバスはキャバーンクラブの近くに止まり、みんなでぞろぞろクラブへ入った。そこで僕はスタウトを注文した。ちょうど前のバンドが終わって、次のバンドがセッティングをしているらしい。カウンターにGさんとジョニーロットンに似た(Gさんに似た人はイギリスでよく見かける。あとMさんに似た人も)人が居たのだけれど、その人が次のバンドのボーカルだった。驚いた。
 そのバンドの演奏はそれほどでもなかった。うまいのだけれど、別にグッと来ない。さっき、iでもらったMMツアーのポスターを見たら、そのバンドが写ってて、 Livapool’s most popular band ‘Up and Running’と書いてある。偶然にも一番有名なバンドを見たのだ。でも、あまり良くなかったよ。
 1時間ほどして演奏が終わった。次のバンドがあるのかな、とちょっと待ってみたのだけれど、Gさんがドラマーとステージ上で何か話してたりして、ちょっと始まりそうな雰囲気ではない。ふーんこんなもんかと思ってキャヴァーンを出た。本物の(たぶん)MMTバスに乗ったり、穴倉のようなキャヴァーンクラブで演奏を聞いたりしても、それほど感動しなかった。ただ、デイトリッパーズも有名になりたいなというような事を考えただけである。
 少し歩いたら後ろから男が来て、「あんたさっきのクラブで見たよ」みたいな事を言って話しかけてきた。「バンドは好きかい」というような事をいって、「よかったらうちのバンドも見にこないか」という。これはたぶんまずいなと僕は思い、英語はよく解らない(実際彼の言っている事は良くわからなかった。まともな英語だってそれほどできないのに、彼のは訛ってて、なおさらわからんかった)と言ったりしたけど、とにかく来いという。「時間がないんだ」と言うと、「俺の家はとても遠くにある。1ポンドくれれば助かる」みたいな事を言う。こいつはやっぱりやばいやつだったのだ。このままついて行ったら、ありがね全部まきあげられたかもしれない。僕は、ポケットの中に貨幣は52ペンスしかないのを知っていたので、それを取り出して、「これしかない」という。相手はそれを受け取って去っていった。物騒な所である。小雨もちらついている。僕はまたブルーになった。
 ぶらぶらしてから、そこらのファーストフード店でフィッシャンチップスを食べる。昼もフィッシャンチップスだった。ボルビック買って帰る。カンタベリーが懐かしい。日本はもっと懐かしい。