がおー!

 このごろ娘はなんでも自分でやりたがる。服を着るのも「ジブンデ!」靴をはくのも「ジブンデ!」。自転車用のヘルメットをかぶるのも「ジブンデ!」。保育園の門でパスワードを入力するのも「ジブンデ!」。保育園の階段についているゲートの鍵を開けるのも「ジブンデ!」。だから保育園に送って行くのに果てしなく時間がかかる。娘を保育園に送って行く時間、娘と二人だけのこの時間がいつまでも続いて欲しい。この停滞する時間にいつまでも閉じ込められていたい。
 連休明けの保育園。ほし組の部屋に入るとバスにまたがった男子が三人、「**ちゃん来た!」と娘の名前を呼んでこちらにワッと集まって来て、くちぐちに「がおー!」とどなりはじめた。なんだ、娘はいじめられているのか? と娘の顔をのぞき込むと、娘は半笑いみたいな、苦笑いみたいな、うっすらした笑い顔をしている。男子もみんな笑いながら「がおー!」とやっている。これはどうやらいじめとかではなくて、クラスのマドンナに会えた喜びを「がおー!」という声で表現する親衛隊、ということらしい。
 夕方、娘と一緒に録画しておいた「フック・ブック・ロー」を見る。しおりちゃんが懸賞か何かに当選して飛行船に乗る権利をゲットした。しおりちゃんともくじいが飛行船に乗り、夜の街を見おろしながら「君をのせて」を歌う。ジブリの『天空の城ラピュタ』の曲。地上で飛行船を見上げるケッサクとリリック(猫)がハモる。ハモりのきれいさに背中がぞくぞくした。飛行船から見おろす街は紙でつくったビルなどの建物。この建物には何人かの作者がこれをつくったのだ、という手作り感が感じられる。この手作り感はしおりちゃんやもくじいの人形にも感じられる。人形の質感には、生地を切って縫ってつくった人の手仕事が感じられ、また人形を操作している人の存在も常に画面の下の方に感じる。棒とか手とかが見えているし。こうやって、作者の手の跡が感じられるのが「フック・ブック・ロー」のいいところなのだろうな。
 子供に何を見せて何を見せないか、という選択をするとき、作者の手(身体)の跡がそこに見えるかどうか、ということを僕は気にかけたい。アニメよりも人形劇。テレビよりもライブ。スマホよりも絵本。絵本を選ぶにしても、アニメの絵みたいに色がべたっと均一に塗られているのよりも、作者の筆の跡とかが生々しく出ているやつの方を選びたい。

 最近娘がハマっている絵本は

やまのこどもたち (岩波の子どもの本)

やまのこどもたち (岩波の子どもの本)

 天狗のお面をつけたたけちゃんと犬のジョンが学校の運動場を走る場面で娘は大笑いする。
 ずっと前、娘が生まれる前(もしかしたら僕と妻が結婚する前)に深見さんにもらった絵本。深見さんは石井桃子展に行ってこれを買ってくれたんだっけか。何十年か前の静かな農村が舞台。下駄屋が下駄を売りに来るとか、魚屋が魚を売りに来るとか、その魚をいろりで焼いて食べて大晦日を過ごすとか、今ではどんな農村に行ってもこんな風景は見られない。僕の父母や祖父母はこんな風景の中で暮らしていたんだろうな、と僕は自分の目で見たわけでもない昔の風景がなつかしい。