毒リンゴ、地蔵盆

noise-poitrine2018-08-19

恵文社で毒リンゴのマラカスを作るというワークショップ。妻が探して来て申し込みをし、娘が参加し、僕はついて行く。子供の図工のプロ、みたいな人たち、おしゃれなかっこうの都会風な若者たちが図工を教える。こないだの児童館のガチャガチャした工作とはだいぶ雰囲気が違う。集まった親子もおしゃれ都会風な若者ばかりでちょっとお上品な空気。一つ絵をかいても、逆さにするとどう見えるか、とか、素早く動いてるみたい、とか、水をかぶってるみたい、とか、どんな味がすると思うかとか、とにかく子供にいろいろ想像させよう、いろんな引き出しを開けさせよう、とがんばってる感じ。僕は恵文社で本を2冊買った。
午後は地蔵盆。今住んでる地域の地蔵盆は2時からとか3時からとか時間を決めてお菓子やおもちゃを配るだけ。妻の話では妻が子供の時に住んでいた地域では屋台が出たり数珠回しをしたり、いろいろ楽しかったらしい。しかし今のここの地蔵盆ではとにかく交流やらコミュニケーションやらが少ない。みんなで一緒にゲームをする的なことがあればもうちょっと盛り上がるのかもしれないし地域の子たちと仲良くなれるのかもしれない。娘は他の地域の保育園に通っているせいもあり、この地域に友達がほとんどいない、地蔵盆に行っても一人で水鉄砲で遊ぶくらい。公会堂の庭にはビニールプールがあり水鉄砲がたくさん浮かんでいて娘がビニールプールに服のまま腰まで浸かって水鉄砲で遊んでいるのを見ていると、夏を満喫できなかった気がするという心残りが消えて行く。プールで遊ぶ娘を見られたんだから、これでもう夏はだいたい楽しめたな、これからやってくる秋が楽しみだな、と気持ちが切り替わるようだ。夜には地蔵盆でもらった花火(少量パック)を庭先でする。涼しい風が花火の白い煙を空に運ぶ、煙の匂いをかぎ、空のまばらな星を見ているうちに夏の終わりに感じるさみしさは満足感に変わっていた。花火をするとこれまでの夏を思い出す。両親の家で過ごした夏や犬島で過ごした夏。
恵文社で買った『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』がすごくいい。「土留めに石積みを用いることは広く行われているが、伝統的な石積みはその土地に産出する石を用いるため、その土地の地質が直接反映されて、地域色の強い景観があらわれる」なんていうのを読むと、これまでなんとなくしか見られていなかった石垣の見かたが変わるようだ。徳島県名西郡神山町の風景の写真もすごく良くて、田舎に帰りたくてたまらなくなる。9月には両親の家に帰省する。今からそれが楽しみだ。

思考としてのランドスケープ  地上学への誘い ―歩くこと、見つけること、育てること

思考としてのランドスケープ 地上学への誘い ―歩くこと、見つけること、育てること