イギリス旅行40

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5月1日(水)くもり。僕の予定では次のバス停で降りるつもりだったんだ、というのは、今日泊まるホテルに一番近いバス停が次のバス停だったから。だけど、ハワースの町を見ようと思えばこのバス停で降りるのが一番で、次のバス停で降りていたら裏からハワースに入ってしまうことになって、それだとずいぶん味気ない。「だからそれは私が何回も言うてたやないか」と妻は食いしばった歯の隙間からうなっていて、妻はハワースに行くんだったらこのバス停がいいみたいだよ、とは日本を出発する前から言い続けていて、僕はしかし現地の風景が想像できていなかったから、それにカタカナのバス停の名前は覚えられないから、シティー・マッパーでルートを調べたときにホテルに一番近いバス停で降りよう、などと思ってしまっていたんだった。ハワースは坂のふもとのバス停でバスを降りて坂道を上っていく時のワクワク感がすごくいい。ちょっとカーブしていててっぺんまでは見通せない坂道の両脇に19世紀だか18世紀だかに建てられてそのまま残っている家が建っていて、その古い建物の中にちょっとおしゃれなお店が入っている、お店のガラス窓から店内の様子をながめつつ坂をとことこ上って行く、というのが群馬の伊香保を思い起こさせる、と言ってみると、だからそれはさっきから娘が言ってることでしょう、と妻に言われる。どうもイギリスに来てから僕は耳が遠くなったみたいだ。空気のせいか? イギリスの空気の乾燥の具合とか気圧の具合で音の伝わり方が日本とちょっと違うふうになっていて、それが僕の耳に合わないのか? 本屋、服屋、カフェ、お菓子屋、楽しそうな店がいっぱいある。周りじゅうがさみしげな田舎という中でここだけがポツンと観光地だ。今日泊まるホテルは「オールド・ホワイト・ライオン」というホテルで、ハワースの坂道をずっと上った突き当たりに建っている。半年くらい前に日本でネットで予約したんだった。着いたのはお昼の1時すぎくらいだったか、まだチェックインまでには時間があるが、昨日のヨークのホテルみたいに荷物だけ預かってもらおうと思い、ピンポンとチャイムを鳴らす。ウェブサイトで見ていたホテルの様子からなんとなく想像していたのは筋肉むきむきで肩や腕に刺青の入った強そうなおじさんが家族で経営しているホテル、というホテルで、どうして僕はそんな想像をしたのか、なんかそんな映画でも見たのか、おじさんにどうやってしゃべりかけようか、と身構えていると、ガチャリとドアが開き、出て来たのが可愛らしい金髪のお姉さんで、「ハロー!」と明るく迎えてくれた笑顔がまるで待ちに待った旧友を迎えるみたいな100パーセント屈託のない笑顔で、顔を合わせるなり、いや、顔を合わせる前からすでにお客さんに心を開いてる、光がパーッと広がるみたいな歓迎の気持ちが体全体からブワーッと吹き出していて圧倒される。こんな田舎ではアジア人は珍しいかもしれず、ちょっと胡散臭い目を向けられたとしてもしょんぼりしないで強い心でいよう、などと心のどこかで覚悟をしていただけに、この笑顔には救われた。ありがたや、ありがたや、と手を合わせて拝みそうになるのを必死でガマンする。いや、ちょっと大げさに書きすぎた。が、ホテルのお姉さんが旧友を迎えるような人なつっこい笑顔で僕ら三人を迎えてくれたのは事実だ。あんな笑顔に出会ってしまうと、俺も普段から仏頂面してないでもっと笑顔で生きていかないといけないな、と思う。お姉さんは鼻ピアスというのか、鼻輪みたいな銀色のアクセサリーを鼻にぶら下げていて、こんな田舎のホテルなのに意外とパンクな若い人が働いているものなのだな、と感心する。