イギリス旅行39

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5月1日、水曜日、くもり。ハワースに向かうバスは山道を走る。いや、あれは山道なのか? 山というほど険しくはなくて、丘というのか、丘陵というのか、そういうところに古い石造りの家がポツポツとたってる道を上ったり下ったり。エミリー・ブロンテはほとんどハワースから出なかったけど、エミリーの姉のシャーロット・ブロンテは学校時代の友達がハワースの外にいたから、ときどき友達に会いに行くのにたしかキースリーまで歩いて行ってキースリーから馬車に乗ったとか、そんなことを何かの本で読んだような気がするが(というのも当時はまだ汽車が存在していなかったから)、シャーロットはこのけっこう長い道を歩いてキースリーまで行ったのか、それともこの道は例えば20世紀になってから車が走るように新しく切り開いた道なのか、いや、それにしてはまわりの家が19世紀ふうだからたぶんこの道は19世紀からあったのかもしれないが、でもキースリーまで歩こうと思えばもっと別の、もっと平坦な道もあるのかもしれない、いま僕らがバスに乗って走ってるこの道は、それぞれの丘の上にある集落をつなぐ道だからこんなにも上ったり下ったりしてるのであって、ハワースからただまっすぐキースリーを目指すだけならば例えば谷底の川沿いの道を下って行くだけとか、そんな楽な道もあるのかもしれない。当時はキースリーはそこそこの大きな町だったのだろう、今みたいなしょぼくれた黄土色の町じゃあなかったのかもしれない、もっと華やかな町だったのかも しれない、エミリーやシャーロットやアンや、それからブランウェルのブロンテきょうだいが生きた19世紀前半はこのあたりは毛織物が盛んで、織物工場で働く人たちがけっこういっぱい住んでいたというから、きっと日曜日にはキースリーまで出かけて買い物なんかをしてたんじゃないか。いや、キリスト教の人は日曜日は教会に行ってお祈りをして、午後は家族で静かに過ごしていた、日曜日にわざわざ買い物に出かけることなんてしなかったのかもしれない。だったら年に一度か二度の日本でいうとお盆休みとかお正月とか、そういう特別な日にキースリーで何か買い物をしたのか。僕はわからないことばかりだ。バスがバス停を通り過ぎるたびにバス停の名前のアナウンスがあるんだけど、それがヒルトップとかクロスローズとか、あまりといえばあまりにもそのまんまな、なんのひねりもない名前だ、いや、ひねりがないのじゃなくて、なんの付け足しの情報もないそのまんまな名前。ヒルトップのバス停があるところは丘の頂上だし、クロスローズのバス停があるところは十字路というか、五差路だった。地元の人が昔からそう呼んでいた地名というかその場所の名前で、ヒルトップなんてものはすべての丘にヒルトップがあるはずだけど、ヒルトップの周りに住んでる人はよそのヒルトップになんてわざわざ出かけていかないんだからヒルトップといえば家の近くのヒルトップしかない。「千本上立売通の」とか、「烏丸丸太町の」とか、そんな余計な情報は必要ない。ただの丘の上で通じるし、ただの交差点で通じる、この名前は一体いつ頃つけられたのか、300年前か、500年前か、それとも1000年前か。その当時のこの辺りの人たちの行動範囲の狭さを想像して何と無くさみしい気分になる。死ぬまでよそのヒルトップに足を運ばず、ただ自分の家の周りだけで生きて死んで行った人たちがたくさんいた、ああ、なんてシンプルな人生なことか。こんな山の中でどんな喜びがあったのか、どんな悲しみがあったのか、大昔にここで暮らしていた人たちのことを勝手に想像して勝手にしんみりしていると、僕の後ろの席に座ったおじいさんが僕の肩をチョンチョンとつつく。振り返ってみると、「君たちはハワースに行くのかね?」と言う。そうだ、と答えると、ハワースに行くならこのバス停だよ、と言う。「あ、降りる!」と思わず日本語で叫んで荷物をつかんで立ち上がると、キースリーのバス停で「私たちもハワースに行くのよ!」って言ってたアメリカ人ふうの女の人たちはもうバスの外に出ていてものすごく嬉しそうに笑っている。後ろの席のおじいさんに「サンキュー」とお礼を言ってあわててバスを降りる。ああ、イギリス人のおじいさんのなんと親切なことか!