かきぬき

『夜戦と永遠』という本を読んでいたら、言語として考えられているものは実は言語ではないのだ、みたいなことが書いてあったんだけど、これって演劇をつくる人たちが考えることと同じことを言ってるんじゃないかしらと思ったので、下に書き写してみた。

*かきぬき
言語は形式ではない。口ずさまれる詩の言葉の色彩であり、文体の奇妙な軋みであり、一文のなかに置かれた言葉の匂いが発する齟齬であり、声のトーンであり、訛りであり、口籠もりであり、吃音であり、間であり、発すると同時に採られる挙措であり、言葉が放たれると同時に吊り上げられる片眉であり見開かれる瞳であり、その奇妙にテンポを失ったリズムであり、言い損ないであり、駄洒落であり、吐息であり、話の接ぎ穂であり、その言葉の色であり、口腔の感覚であり、八重歯に当たる舌先であり、声ならぬ音であり、軋みであり、歯ぎしりであり、あえかな口臭であり、涎の微かな匂いであり、唇の端につい浮かんだ泡であり、痙攣的に歪められる唇であり、その唇にひく糸をすすり込む音であり、筆先に込められた力であり、その力の圧迫で白くなった指先であり、拭いがたい筆跡の癖であり、繰り返される幾つかの文句であり、使ってみたいと思いながらもどうも自分の文章に上手く嵌め込めない語彙の歪みであり、新しいインクの匂いと爪のあいだに入り込んだその染みであり、万年筆の書き味によって揺れる文章の流れであり、モニタに映し出されるフォントの好悪であり、あるいは愛用のキーボードの上で踊る変則的な指遣いであり、そのカタカタと調子外れのリズムを刻む音ですらある。だから、言語とは文体である。語り-口である。書き-方である。言語は言語ではない。言語とは、「言語とは何か」というそれもまた言語で発されるしかない無粋な問いの「何か」にならない何かなのだ。言語は、言語の外を含み、言語の外においてこそ言語たる。
佐々木中『夜戦と永遠』