ひさしぶりに聴くとしっくりきます

オムトンがこないだ京都に来たのはいつだったっけか。もう、あれは去年のことだったんだっけか。そのときにぼくはライブ会場で新しいアルバムを買って、三人にサインをしてもらって、そんで買ったばかりのころは繰り返し聴いたんだけど、最近はジミヘンやボブ・ディランばかり聴いていて、オムトンはCDの棚にしまったまましばらく聴いていなかった。それを今日、ひさしぶりにひっぱりだして聴いてみたら、「あら! こんなにもしっくりくる!」とたまげました。
特にぼくは「下へ下へ」が好きで、さっきからこの曲ばかりくりかえして聴いている。そして、「下へ下へ」を聴きながらぼくが感じているらしいのは、死んでしまった人への鎮魂的な何か。この曲をつくったオムトンにはそんなつもりはなかったのだと思うけど、今この曲を聴いていると、ぼくはなんだか震災で死んでしまった人を悼むような、黙祷をしているような気持ちになる。曲の頭からずっと続くマリンバのリフレインが、どこか遠くから聴こえて来るようなぼわーっとした音が、そんなことを思わせるのかしら。
「seeds of trouble」のピアノの音も遠く聞こえて、なんだか過去から届いて来るような、あの世から届いて来るような。というか、実際この音が録音されたのは、一年前とかの過去のある時点で、だからやっぱり過去から届く音なのだということもできる。こういう過去への届かなさの感じが、死んでしまった人への届かなさを呼び起こすのかしら。いや、そんなこと言ったら過去に録音された音楽はすべて死者を思い起こさせる、ということになってしまうじゃないか。そんなことあるわけないじゃんか。と思うも、いや、でも実はそんなことあったりするのかも、とかも思ったり思わなかったり。