1996年渋谷のエロス


とかいってオムトンのことを書いたあとで録画しておいた『ブラタモリ』の「渋谷」のやつを見てみたら、なんとオムトンの音楽がここぞというところでバシバシ使われているではないか。これまでの放送を見ていて「あ、オムトンの音だ」と思ったことはなかったので、ひょっとして渋谷の回だけオムトンだったのかしら? で、渋谷といわれて思い出さずにおれないのは、はじめてやったバイトのこと。18歳で群馬から東京に出て、そのときにぼくが生まれて始めてバイトをしたのが渋谷のレストランだった。そして、このはじめてのバイトが今までのぼくのバイト人生の中で一番時給の良いバイトだったなということを今になって思う。その額1020円。あれ? 1020円って、今の俺の時給よりも高いんじゃないの、ひょっとして、と。右も左も分からない18の小僧に、33のおっさんよりも多い時給をくれてたんだから、あのころの渋谷って太っ腹だったのかしら。「ビアンコ・エ・ロッソ(イタリア語で白と赤)」という名前のそのイタリアン・レストランは渋谷のラブホテル街の近所にあったため、お使いで野菜やパンなどを百貨店の食品売り場とかに買いに行って「領収書ください。宛名はビアンコ・エ・ロッソで」というと、食品売り場の若いバイトのお姉ちゃんは「はい」といって「ビアンコ・エロス(白いエロス)」という宛名を書いてくれたものだった。「そうか、この食品売り場にはエロスなお店の人が買い物しに来て、領収書をもらったりしてるのだな。なんて大人な場所なのだろう、渋谷っていうところは!」と、18のぼくが目からうろこを落としてからかれこれもう15年もたつ。ビアンコ・エ・ロッソでは準備中はずっと有線でJ-POPがかかっていて、その頃はSPEEDが出始めた頃だったけど、テレビを持っていないぼくはSPEEDを知らなくて、「こいつら中学生なんだぜ」とか社員の人に教えてもらって「へー、すごいっすね」とかいって、まかないのスパゲティーを欲張って腹一杯食べて「おまえそんな食って働けんのか?」とかいわれ、「大丈夫っす」といいつつもちょっと食べ過ぎた、明日はもっとセーブしよう。そう思いながらも次の日になるとやっぱりお腹がぱんぱんになるまでスパゲティーを詰め込むという日々を繰り返していて、だからそのころは人生で一番体重が増えたときだったのだと思う。今よりも五キロくらいは太っていたはず。