トーク

 また保坂さんが京都でトークライブをするというので、さっそく予約したのだった。

前回のトークライブはいつだったか。たしか春の初め頃の寒いときで、娘はまだ妻のお腹にいたのだった。親切な人が妻のお腹がでかいのを見て、ストーブを妻の方に向けてくれたっけか。
 そこでメモしたこととかを少し。
・震災の援助をしなくてすむための理屈をつくる人。自主的規制が私たちにうえつけられている。→小説を書くことにもあらわれる。
・接続詞は書き手を上から監視する。自分の考えがどこに流れるかを自分で監視している。接続詞を使わずに書くと、狂気に陥るのではという不安を感じる。
・ルールには反発しないのに(従順にしたがうのに)、ルールからはみ出す人を認めないという日本のワイドショー中心の社会。
・小説を読める人とは、小説本体の流れとは別にその中の箇所を事実として覚える人。『カンバセイション・ピース』の花火大会の開催日を事実として覚えていた人。小説を読めない人は小説を文脈としてとらえる。全体の流れを読んでしまう。部分の方が大事。
・批評家、読者は先生が出した問題を解こうとする。書いた人が何を書いているかを生徒として探る。先生に好かれようとしてきちんと調べる人、きちんと振り分ける人、主流と傍流をわける人。学校でしこまれちゃっている。
・聖書の「ヨブ記」は何がいいたいのか? 書いた人も答えをもっていない。ただそういう話を考えちゃった。それが信仰にとってリアルだから書いた。全体として何が言いたいか誰も分からない。よい小説とは考え続けるもの。作者にも分からないもの。なぞなぞには答えがある。将棋には答えがない。
・「恩寵」という小説を書く時に、恩寵のイメージが先にあったら小説じゃない。作者が小説を掌握する気がないことが大事。
・最初から力を抜くのは完投するピッチャーじゃない。
・書く人は一部を一部と思わない。一部も全体も、それを書く時の心の状態は同じ。
・ものごとは俯瞰できる、という思考にとらわれている。俯瞰の思考にだまされている。ものごとを主流と傍流とにわけることも俯瞰。中にいる人は俯瞰しない。人生も俯瞰できない。世界も俯瞰できない。外から見られると思うことで足をすくわれる。文章は上から俯瞰して書く方が楽。
・そのつどちゃんとやってないやつに人生なんか来ねえよ。
・あそこに行けばまだあの人たちがいるんじゃないか、そういう意識を生きている。認知症になることは、あの人たちと生きる時間が襲って来ることなのかもしれない。
・『徴候・記憶・外傷』。のりこえ。ふみこえ。経験したあとではその前に戻れない。たとえば恋愛。
・意識は今自分がいる意識を理屈で変えられない。今いる意識でしかものを見られない。
カフカベケット小島信夫は、それで社会、人間世界を語るために書いているわけじゃない。
・「作者は全部知っている」を放棄すること。を一番恐れるのが伝統的勢力。
・人生は向上するために生きている。ゆるい方につかない。
・しゃべること。繰り返しても気にしない。整理されなくてもいい。しゃべりの方が強い。書くことも固まりとして伝えることができれば。
・レノア『ソール・マイニング』。
・ディラン『Time out of mind』。35歳より下の人は聴いてはいけない。これしかない、というアルバム。歌になるような詩とは思えない歌詞。ディランでさえも手探り。
ユゴーライン川幻想紀行』の最初の一行。目で見るとすごく良い。
カフカは毎日素振りをするように書いた。「ミレナへの手紙」とか。
ベケットは三部作のあと書けなくなっちゃった。ネタ切れではなく、イメージが浮かんで言葉になる連結があるものは書きたくなかった。「え、今ここに何があるんだ?」というものしか書きたくないし、書けなくなった。分かるものと分からないものの中間にあるものしか書きたくなくなった。像になりきってないもの、言葉になりきってないもの。
・書く姿勢にしか興味がない。
ベケット『事の次第』。何書いてるかわかんないけど、読んでる時間だけは病みつきになっちゃう。
・イメージが一番伝わんないようなこと。
・伝わんないことを伝えようとすること→生身の人間がすること。
・小説家にとって素振りとは? 手を動かし続けること。引っ掻くこと。動かし続ける感じ。そっちじゃないと出て来ない。同じ文章でも何度でも書くこと。手書き。ジャズのレコードのテイク違いのようにちょっと変わる。流れとしてこっちが先にいったからこれをとる。良い文章と言われたいがために陥りがちなつまらなさ。一瞬通り過ぎるものを見逃さない。おもしろい文章に出会うのも素振りか? 一日一回野球のことを考えろ。夜寝ていても気になって(足の踏み出し幅の何センチかの違い)、起き出して素振り。何かあると一瞬でそっちにスイッチが入る、のでないとものにならない。長い時間考えること。そのシーンを書くときに立ち止まってずーっと考える。AがだめならBというのではなく、出て来る度にがらっと変わる。