ポール

noise-poitrine2013-11-15

 ライブ前日にチケットを買った僕の席は野球場の2階の席でそこから見るポールはお米ほどの大きさで、えんじ色の服を着てゆっくりとステージ中央に歩いてきた人がポール本人なのかどうかが最初は分からなかったんだけど、すぐにステージ両脇のスクリーンに大きなポールが映し出されて、バイオリン・ベースをぶら下げて立っている姿を見たらなんだか服がガリバーみたいな服だったしスクリーンがでっかかったしで、巨人が出て来たのかと一瞬思った。
 最初の曲は「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で、この曲を聴いたら僕は大学1年のときに組んだバンド「デイトリッパーズ」のことを思い出さずにはいられない。1996年夏の渋谷のハチ公前で僕は佐藤Kと待ち合わせをして、サークルの夏合宿で演奏する予定のビートルズの「ノーホエアマン」のスコアをKに渡すことになっていて、渋谷で右も左もわからずハチ公がどこにあるのかも良く知らず、改札のあたりをうろうろしていた僕の肩掛けカバンを後ろからKがグイとひっぱった感触まで蘇ってくるようだ。それまでほとんど話をしたことのなかったKが「ハラ減ってる?」と僕を連れて行ったのは以前バイトをしていたという天丼屋さんで、あの天丼屋さんはどこにあったのか。やけに坂をのぼったりおりたりで、渋谷というのは都会のくせになんでこんなに坂があるのかとびっくりした。群馬の山奥から出て来たばかりの僕は東京というのは平らな都市のはずだと思い込んでいた。東京は便利な場所なのだから、のぼったりおりたりという不便さとは無縁のはずだろう!
 店長はただで天丼を食べさせてくれる、ただでごちそうになるのも悪いから途中のコンビニでジュースでも買って行こう、とKはコンビニで1.5リットルのオレンジジュースとカルピス・ウォーターを買って持って行ったのだけど天丼屋の前まで来てみれば店の外に食券を売る券売機がある。食券を買わずに店に入るのはさもただ飯を食いに来ましたと言っているようで決まりが悪い。「悪いな」とKは謝り、僕らは二人とも天丼(並)の食券を買って店に入った。 Kは高校生のときに渋谷でバイトをしていたということなのか。いや、Kは大学に入る前に専門学校に2年間通っていたという話だからバイトをしていたのはきっと専門学校時代だ。僕が18歳のときKはすでに20歳になっていた。専門学校を卒業しただけでは就職ができないとKが選んだのはドイツ文学科だった。ドイツ文学科を卒業するとKはたしか不動産関係の仕事に就いた。天丼屋さんでは店長がひとりで店番をしていた。「ハラ減ってるだろ?」店長はそう言って僕らの天丼のごはんを大盛りにしてくれたんだった。とそんな個人的なことがついつい頭に浮かんでしまう。
 「リンダのために」「ジョンのために」「ジョージのために」、ポールは死んだ人たちのためにいくつか歌を歌った。リンダのためにつくった曲(曲名は忘れちゃったけど、『マッカートニー』か『ラム』かに入っている曲だったと思う)を演奏してるときにはバンドの後ろのスクリーンに服のジッパーを半分ほど開けてその中に赤ん坊を入れて服で包むようにして立っている髭もじゃのポールの写真が写されていて、それは写真というよりもむしろ動いていて、ポールの隣に立つポールの娘の金髪が風になびいて顔にかかったりしている。あの髪のなびき方がなぜあんなにいいんだろう。ポールは今の僕と同じくらいの歳か。ポールにも子育てをしていた時期があったんだ。「充実」と顔に書いてある。その時期にリンダも一緒にいたんだな。もしかしてこの写真はリンダが撮ったものかもしれない。ポールはもう二度と子育てをすることもないし、リンダと会うこともないんだなあ、そう思うとさみしくなるがポールは元気に歌っている。
 「オブラディ・オブラダ」や「ヘイ・ジュード」では客席のみんなもご一緒にと言って大合唱になるのだけど、2階席でスーツを着たどこかの部長か課長の隣に腰掛ける僕はせいぜい手拍子をするのが精一杯で、どうも一歩引いたところから傍観している感じがする。下を見おろすと野球場のグラウンドにいる観客はみんな立っているようだ。いや、踊っているようだ。ときどきスクリーンにステージちかくの観客の姿が映されるのだけど、みんなしあわせそうにニコニコしてからだを揺らして歌っている。ああ、あんなに近くでポールを見れたら僕だってほんとにぴょんぴょんしちゃうんだろうにな、とさみしい気持ちを感じる自分がライブに集中していないようでさみしい。
 2時間半ほど演奏しっぱなしだったろうか。アンコールの最後に「ゲット・バック」があり、さあ、これで終わりだな、と席を立つ人がちらほらいるんだけど、拍手は鳴り止まず、ポールは2度目のアンコールにひとりで出て来て、アコギを弾きながら「イエスタデイ」を歌って、ああこれで静かに終わるんだな、ローディーにギターを渡そうとするとローディーがバイオリンベースを持っていてポールに渡そうとする。いや、ローディーの人よ、ポールはもう71歳なのだよ、もう十分演奏したじゃないか、休ませてあげてください。それでもローディーは無理矢理ポールにベースを押しつけ、ポールは肩をすくめてもう一度ステージの真ん中に戻って来る。バンドのメンバーも出て来る。なにを演奏するのかと思ったら「へルター・スケルター」をやるじゃあないか! あれだけ演奏してあんなに歌ったあとでこんな曲をやってポールののどは大丈夫なのか。でも元気に叫ぶポールが若々しくて嬉しい! 
 「もう、帰る時間です」日本語でそういってピアノに向かったポールは「ゴールデン・スランバー」を歌い始め、最後は「ジ・エンド」のギター合戦をして、エレキギターでフィードバックを鳴らしたりするポールはまだまだぜんぜん若い。「あなたが受け取る愛はあなたがつくる愛とイコールです」っていうのがビートルズが最後に歌った歌詞だというのは「ラブ・ミー・ドゥー」から始まってずっと愛について歌ったバンドだった。
 翌日のライブに行った寺田君に話を聞くと、やっぱり2度目のアンコールでローディーからベースを押し付けられていたという話で、あれはポールの演出だったんだな、と嬉しくなる。ポールのああいう遊び心がビートルズの音楽を楽しくしていたんだろうな。
  smith13riさんも同じ日に会場にいたみたいで、「おきに」「ありがとう」「日本語より英語の方が得意です」なんて日本語をしゃべっていたとか、演奏した曲目とかをブログに書いているので