お正月休みも今日でおわり

noise-poitrine2014-01-05

 けっきょく今年のお正月は、炬燵で『進撃の巨人』10巻までを読破することに時間を使ってしまった。充実していたのか、時間を無駄にしてしまったのか、良くわからない。たしかにおもしかったんだけど、でもこの時間をつかって、たとえば宮本常一著作集とかを読んだりしてたら、もっと充実感を得られたかもなあ、とかそんなことを思わなくもない。

 『進撃の巨人』は、はじめはただおっかないマンガだと思って読んでたんだけど、巨人の正体的なこととか、壁の正体的なこととか、ちょっとずつ謎が提示されて、その謎がちょっとずつ解かれていく、という仕組みになっていて、それにずっとつきあっていると、マンガに描かれた世界がすこしずつ広がって行く感じが味わえて、「うわー、そういうことなのか?」と興奮する。
 はじめは誰が誰だか分からなかった登場人物も、なんども出て来るうちに顔と名前を覚え、少しずつ親しみを感じるようになるんだけど、覚えたとたんにあっけなく巨人に殺されちゃったりして、それがやるせなく悲しい。
 『進撃の巨人』を読んでいるあいだ、なんとなくショーロホフの『静かなるドン』がずっと頭に浮かんでいた気がする。『静かなるドン』も馬に乗って戦争に行き、戦友が簡単に死んじゃったりするという話で、もう十年以上も前に半分くらいまで読んだだけなんだけど、なんかもう一度ちゃんと読んでみたいと思う。
 どこかの村で略奪した食料やら食器やらで魚の煮込みか何かをつくる場面がある。ある兵士が大きなお皿を持って来て、「これに煮込みをついでくれ」という。しかしよく見るとお皿だと思ったそれはオマルだった。給仕する兵士は「いいけど、おまえ、それは臭うぞ」とかいって注意をするんだけど、オマルのことをお皿だと思い込んでいる兵士は「ちょっとぐらい汚れてたってかまわねえ」とオマルに煮込みをついでもらう。煮込みの表面には茶色の油が浮いていたけど、兵士はそれをうまそうに食べてしまう。というこれは『静かなるドン』のほうの話。

 お正月のおもしろそうなテレビ番組をいっぱい録画していたので、『進撃の巨人』を読む合間に見る。NHKの『72時間』というのがすごくいい。コインランドリーやファミレスを3日間撮影し続け、そこに集まる人たちにインタビューするだけ、という番組なんだけど、世の中にはいろんな人生があるんだなあ、と興味深く見る。なんかみんなけっこう大変そう。

 昨日は妻と娘といっしょに買い物に行った。餃子の王将のニュースを見てからというもの餃子が食べたくてしょうがない。ので、追悼ということにして餃子の王将で生餃子を2人前と醤油ラーメンを買って帰り、晩ご飯はラーメンと餃子とごはん。王将の餃子ってこんなにうまかったのか、いや、ラーメンだってやっぱりインスタントとはぜんぜん違ううまさだ、と興奮しながら食べる。

 こないだの新年会でうちに来たツンジが小島信夫の『別れる理由』を貸してくれといったのだけど、僕はまだ2巻の途中までしか読んでいないので、1巻だけ貸したのだった。いつ2巻を貸してくれと言われるか分からない、早く2巻を読み終わらなければ、とそわそわする。永造はまだ野上とくっついたまましゃべっている。「しかし、馬がほんとに泣くの泣かぬの、何でもないこと、実はよく泣くのよ。昔は泣いたのに、そういうことは書いてあったわ、といったような、いや、もっといろんなことが、一般に動物は泣くのか泣かぬのか、会沢や伊丹が声高に争っているときては、話にも何にもなるものではないじゃないか。今に、馬は犬とどこが違うか、いいかねない。アキレスの馬だって交わったか、どうか問題だわ、という声さえきこえるのだからな。」なんのこっちゃ。いったいなんの話をしていたんだっけか? と、小説においてきぼりにされつつ追いかけて行く、という変な読書体験がなかなか他の小説では味わえない。

 このお正月は、なんといっても、娘と一緒に過ごす時間が多くとれたというのが何より嬉しい。今は日曜日の午後10時すぎで、娘はすでにふとんに寝かせてしまった。いつも僕が娘をお風呂にいれて、娘のほっぺたが赤くなると妻を呼んで、妻に娘を寝かせてもらうことになっているんだけど、今日は妻と一緒にお風呂場から去っていく娘を見るのがすごくさみしい。ああ、これで今日はもう目をさましている娘に会えないんだな、というのがすごくさみしい。明日からはまた朝と夜のわずかの時間しか娘と一緒に過ごせない生活が始まるのか、というのがさみしい。