三角が好きです

noise-poitrine2014-07-07

 こないだの土日に演劇を観たりライブを聴いたりして、ああ、世の中にはこんなにおもしろい表現があるんだな、俺もがんばって表現しなけりゃあいけないぞ、とだいぶ刺激を受けたので、忘れないうちに観たもの、聴いたもの、の感想を書いておこう。
 土曜日に観た演劇は宮部純子作演出の『愛はあると思うけど、私は』。私は書きかけの戯曲をもう2年間もこねくりまわしてるんだけど、純子ちゃんは四月に体験したことを7月のあたまにはもう作品にして上演しちゃった。このスピードに驚く。驚くというか、俺はなにをもたもたしているのか、とあせる。
 アフタートークで大石さんもいってたけど、なんといってもあの天井から降りて来るお皿が良かった。『2001年宇宙の旅』にでてきそうな、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』にでてきそうな、近未来風のテーブル。を紙皿でつくってある、というかっこよさとチープさのバランスが絶妙で、ああ、こういう表現もありなのだな、と目からうろこ。
 この作品は、いちおう宮部さんが経験したことを再現する、というていの作品なのだけど、ときどき経験しなかったことの再現も混じっている。アルタ前で待ち合わせをするところとか、お好み焼き屋の場面とか。ああいう、「っていうことは実際にはなかったんですけどね」的な場面が演じられると、どうして私はこんなにもワクワクするのだろう。本当のことと嘘のことが混じってくる感じがとても好きだ。
 噛み合ない会話をとぎれとぎれにかわしながらコース料理を前菜からデザートまで延々と食べ続ける、という場面がそれこそ延々と続いて、この場面はこんなに長くやらなくてもいいんじゃないかしら、どんなに長く続けたところでミヤベさんとコンノさん関係が変化して行く、ということもなさそうだし、これはちょっと退屈なんじゃないかしら、と思ったりしたんだけど、でも、そうは言ってもせっかくこうやって作品を観に来ているのだから、なんとかしてこの退屈な場面から得られる最大の情報なり感動なりを得て帰ろうじゃあないか、と目と耳は舞台にすいつくように集中して、俳優のセリフやこまかいしぐさをひとつも聞き逃すまい、見逃すまい、笑えるところは積極的に笑わなければソンだ、と能動的に舞台を観ることになったような気がするし、実際けっこう私はこの場面をおもしろがって笑っていた。あたまの中ではレストランでバイトをしていたときのことを思い出したり、自分が誰かと噛み合ない会話をかわしたときのことを思い出したり、コンノさんはなんであんなにも会話が下手なのか、育った家庭環境のせいなのか、とか考えたり、けっこういろんな思い出や考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え、していた。
 この作品を観て、そしてアフタートークを聞いて、やりたいことをなんでもやっちゃえばいいんだ、ということを強く思った。食事をする場面を長く演じたっていいし、ダンスをしたいと思えばダンスだってやっちゃっていいんだ。あのダンスはとてもよかった! このダンスきれいでしょう? とか、逆にうけるでしょ? とか、そういうメッセージが入ってなくて、だから私はもう「……」という感じで、あんましあれこれ考えることをせず、ただ俳優のからだの動きを観るだけ、ということになって、そうやってただ踊る人を観るだけの時間、がポコッと出現する、というのが良かった。その他の短編ズの曲をかける、とはきいていたけど、そうか、そこでその曲をかけるのか、という選曲もよかったなあ。
 私は戯曲を書きながら、このシーンは長過ぎる、とか、病院のベッドでいきなり太鼓を叩き始めては脈略がなさすぎる、とか、わりと自己規制しがちで、100点満点の優等生の戯曲をめざしちゃうところがある。そうじゃなくて、ちょっとくらいバランスが悪くても、ちょっとくらい脈略がなくても、さっと書き上げて上演すればいいのだ。そうしないと何年たっても戯曲が完成しない。

 日曜日は梅田のハードレインでライブ。その他の短編ズの森脇さんがソロで出ていて人形劇をやったのだけど、人形は出て来なくて、ボタンのついた三角すいだとか、犬の絵だとか、どこかでひろってきた石ころなんかを使って人形劇をしていた。これを観ながら私は、人形あそびに熱中している子供を見守る大人、のような気分を味わったし、その一方で、人形劇を上演してくれるお姉さんに夢中になる子供、のような気分も味わった。大人と子供の二つの気分を同時に味わう、というふしぎな体験。
 それにしても、森脇さんはライブのたびにどんどん新曲を歌うし、自作のCD-Rもけっこうなペースで作ってるし、ライブ会場ではじぶんでつくった冊子を売ってるし、youtubeの「この道はいつか来た道」はいつのまにかもう25本もアップされてるし、この人(たち)は表現したいと思ったことをスッと形にしてしまえる人(たち)なのだな、と思う。そして私はそんな人にあこがれる。いや、あこがれてないで自分もがんばれよ、という話なのだけど。

 それからこの日のライブでは、神戸のバンド「カンガルーポー」がかっこ良くて私は好きになってしまった。

 チューニングが狂ってるのかな? っていうような変なリフとか、ときどき拍子がたりなくなったりあまったりするところとか。なんでそこでそういうふうに来るのですか? という違和感が気持ちいい。
 私の中で神戸はかっこいいバンドがいる土地、ということになっている。去年聴いたtrespassもかっこよかったし。