去年はほんとに時間がすぎるのがはやかったな。四月に妻が仕事に復帰し、娘が保育園に通い始めたあたりから、がぜん時間の流れが急になってきて、なんだか疲れもどんどんたまるような日々で(通勤するのに自転車で山をひとつこえねばならず、それでけっこう足腰に負担が来る)、5月には原因不明の熱病にかかり、8月にも熱がでて、そのまま咳がとまらず、11月にもまた風邪をひいたりして、病気ばかりしているうちに一年が終わってしまった気がする。四月になるまではそこそこ余裕があって、雑誌の『新潮』なんかも買って読んだりしてたんだけど、5月の熱病以来買うのをやめてしまい、けっきょく表紙のアルファベットを一年分ならべたらどんなことばになったのか、ということも分からない。

 楽しみにしていた『新潮』の連載も途中からぜんぜん読まなくなっちゃって、こないだ久しぶりに本屋で『新潮』を立ち読みしたら最終回が載っていた。きっと近いうちに単行本が出るだろう。そしたらまとめて読もうっと。
 テレビもあんましちゃんと見られない。クドカンの『ごめんね青春!』は録画したものを娘と遊びながら横目で見ていたんだけど、初めのほうしか見れていない。娘が目をさましている間はテレビなんて横目でしか見られないし、娘が寝たあとではテレビを見るよりも戯曲を書くとか本を読むとかしたいから、やっぱりテレビはあまり見られない。このさき何年かは、こんな調子で中途半端なインプットしかできないまま年月が過ぎて行くことになるのだろうか。
 年末から正月にかけて群馬に帰省した。京都は61年ぶりの大雪だったらしいけど、群馬は快晴。二日に妻と娘と三人で近所の神社にお参りに行ったのがとても気持ちよかった。けっこう歩いたのだけど、その間に人の姿を見たのはパジャマ姿のままキックボードで遊ぶ小さな子供とその祖母らしき人の二人だけ。あとは神社にお参りして家に帰るまで誰とも会わなかった。車は何台か通ったけどそれも片手で数えられるほど。
 神社はだれもいなくて貸し切り状態で、娘は広い境内でうれしそうに歩き回っていた。

 田舎に行ったら子供を遊ばせる場所がいっぱいあるだろう、となんとなく思っていたけど、どうもそんなこともなくて、土の道はとがった枯れ枝が地面から突き出していたりして危ないし、公園のたぐいはどこにもないし、アスファルトの道路は車がほとんど通らないから歩きやすいんだけど、でもやっぱり安心して自由に遊び回れるわけでもないし、思いのほか小さな子供が遊べる場所が少ない。僕が子供の頃はどうしてたんだろう。小さい頃に、母と二人でこの神社までよく散歩に行っていた、という記憶がある。とすると、あの頃も安心して子供を歩き回らせることのできる場所が神社くらいしかなかった、ということなのか。
 だだっ広い畑の中を通る道を歩いていると空がとても広い。ここに住んでいたころは空はこんなに広くなかった気がするんだけど、雑木林とかを切ってさっぱりしちゃったということなのかしら。
 正月に大食いしたので体重が3キロ増えて喜んでいたのだけど、今日仕事に行って帰って来たら2キロやせていた。やっぱり山を越えるのにカロリーを使っちゃうのか。くやしい。

 ツイッターで、大友英良さんが岩波新書から本を出した、ということを知り、京都に帰って来てからさっそく買って読む。そうだ、今年は新書をいっぱい読もう、と思う。テレビを横目で見るだけでは身のある知識が入って来ない、新書だったら安いし手軽に読めるし。なんとかしてまともな知識を頭に入れて行きたい。
 
 紅白歌合戦は娘と遊んだりお風呂に入ったりしてやっぱり横目で見る程度だったんだけど、『花子とアン』の人たちがラジオで