タイム・ループ

 去年の年末に見た紅白歌合戦の中に、去年の春夏にやっていた朝ドラ『花子とアン』の人たちがラジオで紅白歌合戦を聴いている、という芝居が出て来たんだけど、あれがとても良かった。『花子とアン』は明治時代から昭和までを扱っていて、ドラマの中に出て来る人たちは最初は子供だったのがドラマが終わる頃にはお婆ちゃんになってたりするんだけど、だから、平成の今ではドラマの中の人たちはみんな死んじゃっていて紅白歌合戦なんか聴けるはずがないんだけど、紅白歌合戦の中で演じられる芝居ではみんな若く、ドラマの途中で関東大震災にあって死んでしまった人とかもちゃんと生きている。
 『花子とアン』で主役を演じた女の人が紅白歌合戦の司会をしているので、ドラマの登場人物たちがみんなでラジオを聞きながら「花、がんばれし」と応援している、という設定。ああ、ドラマの中の人たちにとってはあの時代が一番幸せな時代だったんだよな、と思う。あのあと地震があり、戦争があり、息子が夭折し、と大変なことばかりがどんどんおこるんだけど、カフェー「ドミンゴ」にみんなで集まったりしていたあの頃は、将来におこる大変なことなんてかげも形もなくて、みんな楽しそうにしている。そうか、あの幸せな時間は過ぎ去って消えてしまったわけではないのだな、平成になった今でもあのときの時間はどこかでちゃんと続いていて、そこでは死んだ人も若くて元気で、バカなことをいったり女の取り合いをしたりしてるんだな、もしもそうだとすると、僕の人生の中の過ぎ去った時間、たとえば子供の僕が両親やきょうだいたちと一緒に炬燵でテレビを見ていた時間なんていうのもどこかにまだ残っていて、今でも子供の僕たちはそこでテレビを見続けているのかもしれないぞ、と思う。

 去年読んだSF小説の中に「タイム・ループ」というのが出て来た。自分が過ごしてきた人生の時間の中で、あのときが一番良かったな、と思う時間を何度も繰り返して、好きなだけその中で生きられる、というようなのがタイム・ループ。お金のある人は90分、お金があまりない人は60分の時間を何度も繰り返す。で、主人公の歳とったお母さんが、老人ホームに入るかわりにタイム・ループに入ることを選んだんだけど、お母さんが選んだのは日曜日の夕食前の一時間だった。お母さんは、息子と夫と三人で夕食をとるために台所でご飯の準備をする、というのを延々と繰り返している。


 正月に妻と娘と三人で神社の帰りに見た群馬の青空。遠くに見える屏風みたいな山が妙義山。この空がひろびろとしてほんとに気持ち良かった。この風景を見ながら、今年はいい年になりそうな気がする、と妻は言った。このときにこの言葉を聞いたことが、今年をいい年にするのだろうな、と思う。
 今年一年を過ごして行く中で、なにか悪いことがおこりそうな事態が発生した場合、「いや、そんなはずはないんだ、群馬で見たあの空を思い出せよ、あのとき妻は確かに『今年はいい年になりそうな気がする』と言ったじゃないか」と正月の青空と妻の声が彷彿として、それが良くない事を吹き飛ばしてくれるんじゃないか、と思う。
 僕がタイム・ループに選ぶならば、この日の神社への散歩の時間がいいかもしれない。


 これは神社にあった大きな石を娘とふたりでかつごうとしている写真。