猫の思い出、みかん

 2月のこづかいが出たのでさっそく北大路ビブレのCD屋さんに飛んで行き、ジャック・ブルースのアルバムを探したのだけど置いてなくて、注文するのも面倒くさいので、またこんど街に出たときにでも買おう、ということにしてついでに本屋さんをのぞいたら保坂和志湯浅学の『音楽談義』というおもしろそうな本があったので買う。それと、新書を読もう、というのがいちおう今年の目標なので、岩波新書の『子どもとことば』も買った。合計2700円。2月に入る前からこんだけ使ってしまって、はたして俺はジャック・ブルースのアルバムを買うことができるのかしら。
 で、『音楽談義』を読んでいたら、猫には葱をやらない方がいい、腸が弱いので毒だ、それと白ご飯も腸にたまってしまうので良くない、ということが書いてあって、それでふと保育園で飼っていた猫のことを思い出した。娘の通う保育園のことではなくて、僕が子供の頃に通っていた保育園。あの猫は保育園で飼っていたというよりも、野良猫が保育園に寄り付いていた、という感じの猫だった気がする。
 テーブルの上に鉛筆削りが置いてある。鉛筆をつっこんでハンドルを回すと削りかすが下のケースにたまって行くやつ。僕はそのケースをとりだした拍子に削りかすをテーブルの下にこぼしてしまう。テーブルの下の、削りかすがこぼれたそこには猫にあげるための白ご飯のお皿が置いてあり、削りかすはご飯の上にかかり、そうすると同じ部屋にいた女子から僕は注意を受けることになる。「猫がそれを鰹節ごはんだと思って食べたらどうするのだ、死ぬぞ」と。それで僕は削りかすを一生懸命とろうとするんだけど、ごはんがねばねばするから削りかすはごはんにくっついちゃっててある程度のとこまでしかとることができない。俺があの猫を殺すのか、それはいやだ、と半泣きで削りかすをとっていると、「それくらいでいいよ、そんだけとったら大丈夫だろう」と保母さんが助け舟をだしてくれる。
 などと保育園のことを思い出しているとそれに釣られて他の思い出も思い出す。田舎の保育園にアメリカ人がやってきて、園児を前にして話をする。アメリカでは赤い米が食べられている、赤い顔のアメリカ人はいう。あのアメリカ人が、僕が初めて会った外国人だったか。
 昼寝の前には「もくもく村のケンちゃん」という紙芝居を見ていた。朗読はたしか録音テープだった。公害のひどい村に生まれたケンちゃんがその原因を突き止めるために川をさかのぼって行く話だったか。ケンちゃんを助けるものとして鳥が出て来たような。
 お泊まり保育の肝試しのとき、あきこちゃんと手をつないで真っ暗な園内を歩いて行く。押し入れの中に白いシーツをかぶったお化け(保母さん)がいて、懐中電灯かなんかの明かりに照らされている。僕はちっとも怖くないフリをしてお化けに「あんただーれ?」と声をかける。
 保育園の隣は小学校だった。小学校は保育園よりも5メートルくらい高くなっている。コンクリートのブロックがつまれた崖の上の金網の向こうから小学生のお兄さんたちが紙飛行機を飛ばしてくれる。僕たちは一生懸命それをつかまえようとして追いかける。

 娘はこのごろみかんにはまっている。食後にごちそうさまでしたをすると(娘は「った!」と言って、食事エプロンを外そうと首の後ろに手を伸ばして、それがごちそうさまでした、の合図)、「んかん、んかん」と台所の方を指さす。しょうがないなー、と食事の途中で僕がこたつから立ち上がると、「かっく、かっく」とだっこをせがんで、だっこで台所に行き、みかんをふたつとって炬燵に戻る。ひとつは「かかの」。ひとつは「ととの」。で、「かか」と「とと」が「んかん」をむいて、一房ずつ娘の手に握らせてあげると、娘はそれを自分で食べたり、ときどき「かか」や「とと」の口に差し出して来たり。「かか」や「とと」がそれを食べようと口を開けると、ひょいと引っ込めておもしろそうに笑い、自分の口に入れてしまう。かと思うと口から出してまた「かか」「とと」の口に押し付けて来たり。そんなことを「なにやってんのー」と笑いなが