お盆に美山に行った

 今からこんなに暑いんじゃあこの先どんだけ暑くなるんだろう、と心配していたのに、お盆をすぎたらすっかり涼しくなってしまった。クーラーももういらない。
 終戦の日に妻と娘と三人で美山町に行って来た。美山町のうわさはときどき聞いていて、かやぶき屋根に消防の人たちが放水する様子がテレビに写ったりもしていて、ああ、あんな田舎に一度行ってみたいものだ、とずっと思っていたんだった。だから、特に何かをしに行ったわけでもなく、ただ景色を観に行って来た。
 美山は思ったよりもだいぶ遠かった。朝7時に家を出て、ベビーカーを押してバス停まで歩き、バスに乗って二条駅で降り、セブンイレブンでパンなどを買って電車に乗った。電車では二人ずつ座る向かい合わせの席に知らない若い男の人と4人で座って、外の景色を観たり、パンを食べたり。ほら、娘よ、これが八木君の住んでいる八木の駅だよ、などと窓の外を指さしたり。この間、男の人はずっと寝たフリをしていた。
 日吉で電車を降りてバスに乗り、途中で一度バスを乗り換えて、このバスだけでも1時間ちかく乗っていたんじゃなかったろうか。僕は車酔いするたちなので、バスがかやぶきの里につくころには少し気持ちが悪くなっていた。娘はバスの中で眠ってしまっていたのだったか。ベビーカーにのせてかやぶき屋根の家々の間を歩いて写真をとったりしていたのだけど、なにしろ坂がきつい。ベビーカーを押しながらだとよけいきつい。かやぶきの家々はこんな坂道に建っていたのか、それに想像していたよりもだいぶこぢんまりしているじゃないか、テレビで観ているだけではわからなかった。テレビで見ると、なんとなく、テレビ画面の四角の外にも延々とかやぶきの家が続いているような気になってしまうけど、かやぶきの家たちはテレビが切り取る枠の中にきゅっと小さくまとまって建っていたのだった。
 朝はまだ観光客も少なくて、人があまりいないアスファルトの道や、かやぶきの屋根や、庭のヒマワリなんかに日差しがカンカンと照っている。天気がよくて暑いのだけど、空気は京都市内よりもからっと乾いているみたいで、あまりべたべたとせず、気持ちがよかった。市内では聞かないミンミンゼミがたくさん鳴いていた。
 娘が眠っている間にこっそりとジェラートを食べてから、坂をのぼってお寺を見に行った。事前にネットで調べた感じでは、お寺がけっこう観光スポットっぽかったのだけど、行ってみたら小さなお寺でひょうしぬけした。お寺だと言われなければ公会堂か何かだと思ったかもしれない。このお寺が集落の一番たかい場所にある。集落の人たちは実際、ここを公会堂みたいにして使っているのかもしれないな、と思う。
 ジェラート屋さんに入った頃から、僕はすごく眠かった。最初は、頭がぼーっとするのは車酔いのせいなのか、などと思っていたのだけど、そうじゃなくて眠いのだった。だから、資料館に入ったときは、もう、畳に横になりたくてしかたがなかった。資料館は、かやぶき屋根の民家を改造したものみたいで、牛を飼っていた場所とか、お風呂とか、倉とかが、けっこうそのまま残っていた。階段を上って屋根裏にものぼることができて、屋根裏からはかやぶき屋根を内側からみることができた。一応ぐるりとひととおりみてから、たたみの部屋に戻ってくると、僕はさも、ちょっとためしに横になるだけですよ、という顔をして畳に寝転んだのだけど、そしたらもう、意識がモウロウとしてしまって、ときどき娘がかけて来て僕におてだまを見せたりするんだけど、ああ、いいおてだまだねー、などと上の空で言ったりして、なんだか、世の中のお父さんが日曜日はごろごろしてばかりいるとか、車でどこかにでかけてもお父さんだけ車の中で昼寝してたとか、そんなお父さんたちの気持ちがよくわかった。しかし、僕は車を運転したわけでもないし、娘を抱っこしていたわけでもない。ちょっとバスにのってちょっとベビーカーを押したらこのざまだ。娘がどんどん育って行くというのに、こんな僕で大丈夫なのか。いや、大丈夫のわけがない。もっと体力をつけなくちゃダメじゃないか。
 で、気がついたらけっこう、もう、1時くらいとかになっていて、そろそろお昼にしよう、と坂道をおりていくと、昼食を食べようと予定していたおそば屋さんには順番待ちの列ができていた。おそばが売り切れたらどうしよう、と青くなったんだけど、でも順番を待ってなんとかおそばを食べることができた。おいしいおそばだった。
 田んぼの前を流れる幅40センチくらいの水路に板が渡してある。この板に座って水路に足をつけるように、と書かれている。ので、娘の靴と靴下を脱がせて、板の上に座らせると、初めはじっと静かに水に足をつけていたけど、だんだん調子に乗って来て、ばっしゃばっしゃと水を蹴りあげて、大変なはしゃぎようだった。向かい合った板に僕も座ってみたんだけど、娘が蹴る水でだいぶズボンが濡れてしまった。と、こう書くと、僕がそれをいやがっていたように見えるかもしれないけど、僕は逆に喜んでいて、「やめてー」とか「ぬれるー」とか言っていても、それは「もっとやってー」というふうにしか娘には聞こえない。ときどき、家でごろごろしているときなどに、娘はふざけて僕の顔をたたいたりするんだけど、そういうときも僕は「痛いでしょ」「ぶっちゃだめ」などといいながらも内心よろこんでいたりする。しめしめ、娘がこれほど気を許してくれるのは、世界中で僕だけなのだな、などと思ってよろこんでいたりする。だから、むすめは喜んで僕をたたく。そして僕も喜ぶ。
 アイスクリーム、アイスクリーム、と娘がいうので再び坂道をのぼって、
 と、ここまで書いたら時間が来てしまったので、つづきはまたこんど。