ポニョ禁止

 家族三人でバスに乗って街に出るとき、娘が歩けなくなった場合(寝ちゃったりとか)の用心にベビーカーを持って行くのだが、こないだ街に出たときは娘のお気に入りの人形も一緒につれて行き、娘が歩いている間は人形をベビーカーに乗せて運んでいた。娘にとって、この人形は大事な友達であり子供であるので、ぞんざいに荷物として扱うことができない。ので、ベビーカーに乗せた人形にきちんとシートベルトをしめて、毛布までかけて、それを僕が大事に押して歩いていたのだったが、そうするとすれ違う人がみんな半笑いで僕の顔を見て行く。半笑いというか、とまどったような、馬鹿にしたような、信じがたい光景を見たような、ちょっと気味の悪いものを見たような、気の毒なものを見たような、そんな目。どうも、僕がイタいおじさんに見えているらしい。このおじさんは、さも大事そうに人形をつれて歩いているけど、頭がおかしいのだろうか? 幼い子供を亡くしたショックとかで気が狂ってしまったおじさんなのだろうか? 妻と娘が一緒に並んで歩いていればいいのかもしれないけど、やっぱり狭い歩道ではあるし、三人が横に並んでは歩けないし、娘はそれほど足が速くないから、手をつないだ娘と妻とは2メートルくらい僕から遅れて歩いていたりして、そうすると僕は人形を連れて街を歩くおじさんになってしまう。すれ違う人たちがみんな僕のことを振り返るのがおもしろくて、くせになりそうだ。ハイ・レッド・センターの人たちがからだじゅうに洗濯バサミをつけて駅前を歩いたりしたっていうのには、こういう気持ち良さがあったのだろうな、と想像してみたりする。

 娘には気の毒なことをした。昨日、土曜日は雨だったので、家のテレビで『崖の上のポニョ』を見た。娘は人生初のポニョ。僕は途中まで他の用事をしていて、最初は妻と娘だけが見ていたのだったけど、「一緒に見よう」と妻に呼ばれてテレビの前に座ると、どうも娘の様子が変だ。目にいっぱい涙をためている。テレビに映っていたのは、ポニョが所ジョージに連れていかれたあたり。どうしたのか? と娘に訊くと、「そうくんにあいたい」と言ってわーっと号泣しはじめた。ソウスケと引き裂かれたポニョの悲しさにシンクロしちゃったみたいで、顔を歪めてポロポロと涙をながす娘を見ると、こちらがもらい泣きしそうになる。もらい泣きというか、娘が相当なつらさを味わっているようだ、というのが見えて、それが気の毒でかわいそうで泣きそうになる。これは刺激が強すぎるのではないか。娘の脳に重大なダメージを与えるのではないか。このあと何日も夢でうなされたりするのではないか。とか心配して、すぐにテレビを消そうかと思ったのだけど、それよりはポニョとソウスケが再会する場面をみせて安心させようと思い、だいじょうぶだ、すぐにまたポニョはソウスケに会えるのだ、となぐさめて、続きを見ていたら、テレビの中では大津波が起こり、巨大な魚がうねったりとびはねたりで、これがまた恐ろしくて娘は「おうちにかえりたい」と崖の上の家が心配で泣く。崖の上の家は無事だった。ポニョとソウスケは再会してラーメンを食べた。というあたりで娘は一安心して、ここでテレビを消せばよかったのだが、そうこうするうちにソウスケのお母さんが一人で車にのって職場に戻ってしまった。そうなるとやっぱりお母さんの無事が心配になる。こうなれば最後の大団円まで見せて安心させたほうが脳へのダメージはすくないんじゃないか、と思い、最後まで見せたんだけど、やっぱり二歳の子供にはけっこうスリルとサスペンスが過剰であったらしくて、最後まで見ても涙は止まらなかった。リサの車が見つかるが肝心のリサの姿がみあたらず、それでリサが心配で泣いたりとか、トンネルの中で落とした船のおもちゃが暗い中に取り残されたのがかわいそうで泣いたりとか、ソウスケとポニョが丘の上にひとりで残っていたおばあちゃんの胸にとびこんでそのうしろから悪そうな波が襲いかかったときにポニョがどこかに吹き飛ばされてしまったのではないかと心配して泣いたりとか。最後もポニョとソウスケとリサが仲良く車で家に帰る、とか、そんな分かりやすい場面で終わってくれれば娘もある程度は納得したのかもしれないけど、ポニョがソウスケにキスをして人間になった瞬間にぷつんと終わってしまったので、娘は何がなんだか分からず、母親の胸で号泣しながら映画の外に放り出されてしまったのだった。「ポニョこわかった」「ポニョ好きじゃない」といいながらも「もういっかいみる」と泣きながら何度も言うのは、もう一回ポニョをみて、ソウスケもポニョも最後は無事でちゃんと大丈夫なことになるのだ、ということを確認したかったからか。しかしこんなに刺激の強い作品を何度も見たら、娘は頭がおかしくなっちゃうんじゃないか。ポニョはしばらくの間、我が家では上映禁止ということになった。
 
 ポッドキャスト吉本隆明の講演は聴くのをやめてしまった。どうも同じことを何度も言ったりして、そのわりには何が言いたいのかよくわからなかったりして、聴きにくい。講演によっては二時間くらいあるんだけど、もうちょっとまとめてくれれば半分くらいの時間でしゃべれるんじゃないか、などと思ったり。「今日はどうしてもこの話をしたいんだ」という熱量みたいなのは伝わってくるんだけど、いろいろポッドキャストの番組を聴いた後では、吉本隆明の講演のまどろっこしさについて行くのがしんどくなってしまった。講演に行って、生で、本人がその場で考えながらしゃべる、というその姿を見るのであれば、それはかなり感銘を受けることなのかもしれないけど、ほかに色々おもしろい番組がある、という中で聞こうとすると、どうしても後回しになってしまう。
 ポッドキャストの番組は、おもしろそうな番組だなと思って聴いても、そこでしゃべってる人のしゃべり方や声が好きになれないと、聴くのがいやになってしまう。声のトーンとか、相づちとか、笑い方とか、相手のギャグのひろい方ににじみ出る親切さだとか、そういう細かいところにしゃべっている人の人柄が出ている。その人柄を聴きたくて僕はポッドキャストの番組を聴いているようだ。今いちばん好きなのは「そんない理科の時間」の過去の配信で、ここでしゃべっているモトミヤさんという北海道のおじさんがすごくいい。このおじさんの声を聴くだけで嬉しくなる。今でも配信している番組なんだけど、今ではもうモトミヤさんが降りてしまっていて、モトミヤさんと一緒に番組をやっていたヨシヤスさんが、新しく入ったメンバーと番組を続けている。2月11日の時点で第152回まで配信されている。僕は過去の配信の30回くらいまでを聴いたのだけど、この先、いつモトミヤさんがここからいなくなってしまうのか。なるべく長いことモトミヤさんの声を聞いていたい。