抑圧

 吉本隆明シモーヌ・ヴェイユについてしゃべった講演がポッドキャストで聞けるんだけど、その中で吉本さんが言うには、シモーヌ・ヴェイユは、戦争とは国が国民を抑圧するための手段だ、みたいなことを言っていたらしい。戦争になると国民はよその国の人たちに殺されるみたいに見えるんだけど、それはそう見えるだけで、本当は、国がよその国を使って自分の国の国民を殺す、というのが戦争なんだ、とシモーヌさんは言ったらしい。
 靖国神社に総理大臣が参拝することがどうして国民の感情を逆なでするのか、ということも、シモーヌさんの言ったことを考えれば納得がいく気がする。靖国神社って言うのは、戦争で国民を抑圧する側の国が用意した神社で、そこに戦死した国民がまつられることで、国民は死んだ後まで国に抑圧され続ける、ように感じる(「俺は国のために死んだんじゃない、国に殺されたんだ、だのに殺したお前がなんで俺を神社に入れるんだ、俺は家に帰りたいんだ、ここから出してくれ」)。そこにときどき総理大臣が参拝する。抑圧した側の代表の人が、抑圧の象徴みたいな神社で、抑圧された人に手を合わせることで、抑圧がそのつど更新されていく、みたいないやな気分が、テレビを通して国民の側に伝わってくるんじゃないか。それがどうにももやもやと重苦しく感じられるのではないか。