ファミコンを買った

 ぼーっとしている間にもう桜が咲いてしまった。四月なんてまだまだ先だ、なにしろこないだ初詣にいったばかりなのだから、などと思っていたのだが、気がつけばもう四月。四月になったからといって何かが変わるわけでもなく、生活もこれまでとほとんど変わらない。変わるのは、娘が保育園でひとつ上のクラスに移動する、ということくらい。一年間娘の面倒を見てくれた担任(というのだろうか?)の保育士さん二人が3月一杯で退職する。娘に「**先生と**先生は、明日でさようならだよ」と言って聞かせる。「ありがとうございましたって言うんだよ」。

 三月の連休に群馬の実家に帰省してきた。前回の帰省では、娘は僕の両親にあまりなつかなかった、という印象があったのだが、今回は苦手かと思われた「おじいちゃんだっこ」にも積極的だった。ヨーグルトやらヤクルトやらイチゴやらお子様ランチやら、娘はふだんめったに食べられないごちそうを4日間食べ続け、「夢の四日間」を過ごした。
 子供の頃に遊んだファミコンのカートリッジがどこかに残っていないかと、倉庫の荷物をひっくり返して調べたりするが、見つからず。倉庫にも、僕が高校生のときまで使っていた部屋にも、僕の本やら雑誌やら何かのプリントやらが山になっている。2002年に、僕はそれまでひとり暮らしをしていた東京から京都に引っ越したのだったが、そのとき、東京の部屋にあった本のほとんどを群馬の実家に運び、そのまま本棚につっこんで置いたのだった。「いつかもう一度見たくなるときがくるはずだ、そのときに実家から送ってもらうなり、実家に取りに帰ったりすればいい」と思い、ずっと処分せずにいたのだけれど、どうも、これらの本をもう一度読む機会はこれから先二度とやってこないような気がする。20代前半の僕が興味があって買った本でも、38歳になった今では興味が別のところに移ってしまっている。ので、思い切って捨てることにした。捨てる、といっても、本棚からいらない本や雑誌を抜いて廊下に積み上げ、「これ、こんどの廃品回収のときに捨てておいて」と両親に頼んだだけなんだけど。しかしなんだかんだいっても「これ、もう売ってない本だからとっておこうかな」とか「二千円も出して買ったのに結局まだ読んでないんだよな」とか思って、まだまだ捨てられずに残してきた本がある。これから三年くらいかけて、帰省するたびにちょこちょこ捨てて行こう。
 京都に戻る日、曽木の祖母の家に寄る。祖母の家には伯父が来ていた。伯父は庭にあった物置小屋みたいなものをつぶし、トラクターでたがやして、畑をつくっていた。「おばあがじゃがいも植えるんだと。えれえ話だで」。いつだったか、帰省したときにおばあちゃんはもう90歳を過ぎて畑にでることができなくなった、これが最後の里芋だよ、などといってもらって来た里芋を名残惜しく食べたものだったが、そうか、おばあちゃんはまだまだ畑をするつもりなのか。ずいぶん前向きだ。嬉しくなる。日当りのいい暖かい縁側にすわり、娘に「雪の宿」を食べさせていると、群馬は時間がゆっくりと流れるなあ、などと思う。広々とした縁側にのんびりと座って日の光をあびる、という気持ち良さ。

 実家で不要の本や雑誌を見たあとで京都の家に戻って来ると、この家の押し入れにつっこんである本だって、やっぱり今後二度と読まなそうな本ばかりなのだ、と気づいた。本だけじゃなくて、空箱とか紙袋とか、「いつか必要になるかも」とか思ってとりあえず押し入れにしまっておいたものが、この五年間でけっこうな量になった。これから娘の持ち物も増えてくるだろうし、ちょっとこの機会にものを整理して捨てていこうか、と思う。着ない服もずいぶんある。

 ついにファミコンを買ってしまった。クリーム色とあずき色の初代ファミコンヤフオクで2100円。初代ファミコンは地デジのテレビにはつなぐことができないのだけれど、うちのテレビは地デジ化以前に買ったもので、アナログとデジタルと両方見られるようになっている。ので、ファミコンをつなぐことができた。ゲームなんてやっていてはだめだ、ゲームをやる暇があるならば本を読め、楽器の練習をしろ、と思って18歳でひとり暮らしを始めたときからゲームを持たない生活をしていたのだったが、ときどき、子供の頃に遊んだファミコンが懐かしくてたまらなくなる。それでスーパーファミコンを買ってみたりゲームボーイを買ってみたりしたのだったが、やっぱり僕はファミコンじゃなくちゃだめなんだ。画面がきれいだとか、音がきれいだとか、そんなことはどうでも良くて、むしろ色の少ないドット絵とピコピコ音に興奮する。
 しかし僕はファミコンをやっている場合じゃないんじゃないか。子育てもあるし、仕事もあるし、戯曲とか何かを書いたりもしたいし、本だって読みたいし。今の生活ではテレビを見る時間もネットサーフィンをする時間もあんまりないというのに、なんで少ない時間をわざわざのんきそうにファミコンをして過ごしちゃうのか。などといいながら『ドラクエ�』を20年以上ぶりで遊んでいる。
 
 今年の1月、ファミコンの新しいソフトが二十何年かぶりに出たという。

(FC/FC互換機用) 8BIT MUSIC POWER (8ビットミュージックパワー)

(FC/FC互換機用) 8BIT MUSIC POWER (8ビットミュージックパワー)

 これにはゲームじゃなくて音楽が入っているらしい。欲しい。けど、製造年とかによっては、このソフトが動かないファミコンもあるらしい。うちのファミコンで動かなかったらいやだな。それに4000円あったら中古のファミコンのソフトが8本くらい買えるしな。どうしようかな。

 今年に入ってからポッドキャストを聞く生活が始まったのだが、今は「行け! 世界遺産と雑学の旅」を良く聞いている。世界遺産とか宗教とか歴史とか青年海外協力隊とかバックパッカーとか、いろんな話題が山盛り出て来て、世の中にはすごい人がいるんだな、こんな生き方もあるんだな、こんだけ知識を持っていたら世界の見え方がぜんぜん違うんだろうな、俺はこんなふうにファミコンなんかしてくすぶっていてはいけないな、と、いてもたってもいられないようなむずむずを感じる。