運動会

・娘の運動会。僕と二人で手をつないで「よいどん」をしたり。鉄棒にぶら下がったり跳び箱からジャンプしたり。参加賞のクッキーを他の子はもらっているのに僕らはもらいそびれる。クッキーには卵が入っているので、娘は食べられない。そのため、卵を除去したクッキーが別に用意してあったようなのだけど、どさくさにまぎれて卵除去クッキーをもらわずに帰ってしまった帰り道に、クッキー欲しかったなーとくよくよ考える自分のみみっちさ、いじきたなさ、さもしさ、を思いさらにくよくよする。その他の参加賞:金メダル、ランチセット、お絵描き帳、梨、ビスコ、はちゃんともらって帰ったんだから、いいじゃないか、それで。娘はクッキーがどうのこうのなんてちっちゃいことは言わない。どうどうと胸を張って、首から下げた金メダルを右手にもって眺めていた。妻の実家の人たちも娘の応援にかけつけてくれた。お昼ごはんは妻の実家でお赤飯をごちそうになる。

・ファックさんの出ている演劇を観に行く。帰りに楽屋前の廊下でファックさんと立ち話。
F「え、それじゃあもうだいぶしゃべらはるんですか?」
H「そうですね、もうけっこうしゃべってますね」
F「じゃあ、もう夜泣きとかもなく?」
H「朝までぐっすりですよ」
F「あー、じゃあ、もう楽になって、毎日楽しいんじゃないですか?」
H「いや、しゃべるようになると、それはそれで大変ですね」
F「え? どんなふうに?」
H「いや、なんか、休みの日とか、一日中しゃべってたりして」
とかいって、なんかネガティブなふうに「大変ですよ」みたいに答えてしまうのだけど、これはなんなのか。休みの日に家にいて子供がずっとしゃべっているっていうのはそれほど大変でもないし、むしろ楽しいというか喜ばしいというか、うきうきすることなのに、「いや、実際それほどいいもんじゃないですよ」みたいな態度を取ってしまうとは何ごとか。実際はうきうきしまくっている自分の浮かれた気分をあんまりおおやけにしたくない、ということなのか。
 演劇はそれほどピンと来なかった。帰郷とか再会とか死者との対話とか、ベタな要素の多い話だったからだろうか。もっとわけの分からない、混乱した、破綻した、ぶっとんだ作品を観たい。おいらの考えてることについてこられる客なんてひとりもいねーだろうよ、みたいな作品が観たい。いや、ひとりか二人はいるんだろーけど、はたしておまえさんはそのひとりかい? みたいなのが観たい。

・アコちゃんから久しぶりにメール。フランスに行ったきり帰ってこなかったアコちゃんはフランスで映画監督と結婚していたそうだ。こんど日本でその映画の上映があって、アコちゃんもそのときに日本に来るらしいので、ぜひ観にいらっしゃいとのこと。いやあ、それはぜひ観に行こう。

・祖母は本当はベッドが欲しいのだろうな。しかし素直に「欲しい」と言えない性格なんだ。「いや、俺はそれほど欲しくもねえんだけど、どうしても買ってやるっつーから、しょうがねー、もらってやるべーかな」といいながら欲しい物をゲットする、という生き方は僕もそれを受け継いでいるような気がする。