丸善に行った

 金曜日、午後7時より鴨川の河原にて新しいバンドの練習。バンド名の案を出し合うが決まらず。キャプテンは「The Haunted Sailers」が良いといい、僕は「ヘソカマボコ」が良いといい。ロマンチックな英語の名前にするのか、ださい日本語の名前にするのか、方向性がだいぶちがう。そのあたりの擦り合わせはまた次回の練習にすることにする。次の金曜日までにまた各自バンド名の案をねることに。キャプテンのところにも1歳の娘さんがいるので、子育てトークも少しする。最近服を着たがらない、という話。僕の家ではどうしているんだったっけ? と帰りのバスの中で思い返してみる。娘が服を着たがらないとき、カミナリさんが来たらおへそをとられてしまうよ、というと娘は真顔になり、神妙にうなずき、服を着てくれるのだけど、これって恫喝なのではないか、強い立場を利用して娘をだましているのではないか、と罪悪感もなくはない。ので、なんかもっと良いやりかたはないのかなー、と思いながら、毎日「カミナリさんが……」と娘を脅かし続ける日々だ。終バスで家に帰り、インスタントラーメンを食べる。冷蔵庫に残っていた古い卵をラーメンに入れて食べた。我が家は娘が卵アレルギーのため、卵を買ってもなかなか使い切ることができない。このとき食べたのも賞味期限を2週間すぎているものだった。
 土曜日、午前中に娘の採血のために病院へ。卵アレルギーの数値が下がっているかどうかを調べるための採血。採血の間、両親は待ち合い室で待っているのだが、注射の部屋からは「カカがいいー!」と娘の泣き叫ぶ声。が、ぴたりと声がやむ。すわ、気絶でもしたのか! と耳をすますと、やがてまた「カカー!」と声。あとで看護婦さんに聞いたところでは、針を刺す間は泣いていたけれど、チューッと血をぬいている間はじっと注射器の様子を観察していたのだそうだ。生協で妻のお母さんに会い、がんばって注射を耐えぬいたご褒美にイチゴのヨーグルトを買ってもらい、家に帰ってさっそく食べる。昼食の後あたりから僕の腹が痛くなる。昨日の卵が原因か。それほど激しくもないので、かねてから予定していたとおり、家族三人でバスに乗って丸善に行く。京都の丸善は十年前に閉店したんだけど、それが最近になって復活したのだった。かつての同僚のM田さんとばったり会う。東欧の音楽の本とビートルズの本を買う。2千円以上買い物をすると「読書ノヲト」というものがもらえる。読書の記録をつける文庫本サイズの帳面で、梶井基次郎の「檸檬」も収録されている。僕はこれで初めて「檸檬」を読んだ。憂鬱な人の話なのだな、「檸檬」は。文学をやるぞ、というときに憂鬱というのはそのとっかかりとしてかなり大きな手がかりになるみたいだ。村上春樹も直子が死んで憂鬱になっているし、又吉さんもこないだテレビで「憂鬱っていうのは、いつもあります」みたいなことを言っていたし。演劇作品なんかでも、現代社会を生きる若者が抱える閉塞感、みたいな暗い空気がただよっている作品をけっこう見かけるような気がする。僕もときどき戯曲を書いたりするのだけど、僕は憂鬱だとか閉塞感だとかとは無関係な作品をつくりたいものだなあ、と思う。で、丸善のあとはノムラテイラーで娘のワンピースのための生地を妻が選ぶ。帰宅後、腹痛が少し増したため、早く寝る。
 日曜日、雨降りだし、腹がすっきりしないこともあって、一日中家でごろごろと転がって過ごした。娘とすごす時間が少ない平日は、もっとたくさん娘と遊びたいものだなと思うのだけど、雨の日曜日にずっと家に閉じこもっていると、ああ、一人で思うさまマンガを読み散らかしたいものだな、なんて思っちゃう。ちょっと妻と娘とふたりで遊んでいてもらい、僕はお腹が痛いことを理由にして寝室でひとりで横になり、『焦る! 辻井さん』

焦る! 辻井さん

焦る! 辻井さん

を少し読む。娘が2歳になった今読み返してみると、あらためて共感するところがある。1、2歳の子供を育てている人には参考になるところがたくさんあるマンガなので、子育て中の人はぜひ読んでみて下さい。

 これは夏休みに行った美山の写真。