心配御無用

 金曜日、出町柳の三角州でバンドの練習。新しいバンドの名前はbaychimoに決まる。キャプテンの話では幽霊船になった船の名前だと言う。幽霊船なんていうものが本当にあったのか。僕は幽霊船なんてお話とかドラクエ3とかに出て来る架空の船かと思っていたのだけれども。家に帰って字引でひいてみたが載っていない。ので、コンピュータの電源を入れてウィキペディアで調べてみると、ちゃんと載っていた。ベイチモ号は1914年に出航した船で、北極だかアラスカだかのあたりを航海していたときに海が凍って動けなくなり、船員が外に出たあとで氷が割れるかなんかしてどこかに消えてしまったらしい。で、沈んだのかと思いきや、その後何十年もベイチモ号は海を漂い続けていて、いろんなところでイヌイットの人とかに目撃されているのだという。死んだ船員の幽霊が乗っているとか、そんな不吉な船じゃないのがいい。誰も死んでいない。無人のままぷかぷかときままに漂っている、というのがいい。yoji & his ghost bandのyojiだけが東京に引っ越してしまい、残されたghostたちが勝手にバンドを始めた、というのがこのバンドなので、幽霊船の名前はバンド名にもってこいだ、と思う。baychimoの初ライブは次の金曜日、西院のウーララにて
 土曜日、家族三人で大宮交通公園にいく。交通公園の目玉はゴーカートなのだけれど、2歳の娘にはまだ早いと思い、ゴーカートには乗らず。エンジンを抜かれたゴーカートの外側だけが公園のそこここに、ベンチのかわりみたいな感じで置かれている。娘はこれが気に入ったようで、地面に固定されたゴーカートに乗り込み、「運転するー」と、ハンドルを回す。「運転」などという言葉をいつの間に覚えていたのか。「ペデリ見るー(テレビ見るー)」と、ハンドルのわきを指さす。車に乗る機会はあまりないはずなのに、カーナビのことまでちゃんと知っている。妻が娘の運転する車の助手席に座り、僕は走って車を追いかける人の役を演じる。「まってくれー!」と必死で走って車の窓に手をかけると、「だめー」とか「とと、走って」とか娘に言われ、手をふり払われる。僕はまた必死で走って車に追いつき、追い越し、追い越され、という遊びをえんえんと繰り返す。こんなソファーが家に一台欲しいものだ、そしたら助手席に座ったまま楽に子育てができるのではないか、と妻と話す。
 日曜日、昼間につんじの家でbaychimoの練習。いや、練習というよりビールを飲む会、みたいな感じ。つんじの家に行くといつもビールを出してくれるから、そこが僕は好きだ。子供向けのテレビ番組の中では、NHKの「Hook Book Row」がいい、音楽がいい、ポロリの声の人の声がいい、という情報をキャプテンから得る。家に帰ると娘が新しい言葉(?)を覚えていた。「しんぱーい」といいながらパーに開いた右手を手のひらを正面に向けて胸の前に持ってきて、「ごむよー!」といいながらその手をまっすぐ前に勢い良く突き出す。「とと、えんえんちて」といって僕をたたく真似をする。それで僕が「えーん、えーん」と泣きまねをすると、娘はこの「しんぱーい、ごむよー!」をする。そうか、心配することなんて何もないんだな、と涙は引っ込み、人生はバラ色に明るくなる。

 これは娘の誕生日に妻が娘に贈ったポッコちゃんの写真。身長は40センチ。