缶ビール事件と今年の抱負

重たいアンプとベースをかついではるばる東京まで行き、あまり外に出ずに劇場の中に閉じこもってお正月を過ごし、大勢の観客の前でライブ演奏をして良い感じに疲れて、「なんだかんだ言ってもやっぱり俺たちがんばったよなー」と打ち上げで気持ち良くお酒を飲んでいたところ、よっぱらった大学生に缶ビールを投げつけられた。ふたの開いた500mlの缶ビールで、中身は結構たっぷり入っていた。缶ビールは僕の鼻の脇にごつんと当たって、ビールはあぐらをかいた膝の向こうにこぼれた。
この仕打ちにはすっかり寂しくなってしまった。大学生が僕の顔に缶ビールを投げたということは、つまりその大学生が僕のことを「顔に缶ビールを投げても全然オッケーな奴」であると認識していた、ということであろう。僕は自分では結構がんばって曲を作り、重たい思いをして楽器を運んで来て、誠実にライブ演奏をしたつもりだったのに、それを見ていた大学生の眼には、僕という人間は缶ビールを投げてもかまわない存在に見えてしまっていたのか、と思うとひどく惨めな気分になり、ライブの後の達成感もどこかに消えてしまい、痛さと寂しさと悲しさと惨めさと情けなさとで、しばらく何もしゃべれなくなってしまった。大学生はそのまま寝てしまった。
翌朝大学生は僕に謝り、僕は大学生に「あんなことしてると誰にも信用されなくなっちゃうぞ」みたいな感じで説教をしたんだけど、それで僕が受けたショックが消えてしまうわけでもなく、京都に帰って来てからもなんだか心のどこかに穴でも開いたような寂しい気分だ。と、僕がこんなことを書くのは、あの大学生を責めたくて書いているのではないし、あの大学生にもう一度謝って欲しいとか思って書いているわけでもない。どんなに「すみませんでした」と言われても、一度起こってしまったことを取り消すことはできない。
そんじゃあ、なんでこんな愚痴みたいなことを僕は延々と書いているのか。この缶ビール事件が他者への同情の大切さを僕に考えさせるきっかけになったので、それで僕はこの文章を書いているんじゃないかと自分では思うんだけど、でもそれは言い訳で、やっぱり愚痴を言いたいから書いているのが本当なのかもしれない。
しかし、それにしても、このことがあってから、僕はますます同情の大切さということを考えるようになった。あの大学生は缶ビールを投げつけられた人が感じるであろう惨めな気持ちにもっと同情すべきであったのだ。
そして、あの大学生が持っている傍若無人さというものは、実は僕の中にも存在するものである。僕も、人の気持ちをよく考えもせずに傍若無人な振る舞いをしたり、心ないことを言って人を傷つけたことがこれまでに何度かあったし、よっぽど気をつけないとこれからも傍若無人な同情を欠いた振る舞いをしてひとを傷つけてしまう可能性があるのだ。あの大学生の振る舞いは、僕にそのことを改めて肝に銘じさせた。
そんなわけで、今年は他者への同情を大切にして一年を過ごす年にしたい。
それから、悪い奴がいたらきちんと怒る、ということをこれからはして行こう。ここ何年か僕はきちんと怒るということをしてこなかった。
それから、今年は夏までに戯曲をひとつ書こう。
それから、できたら、今年は恋人が欲しい。