ごく小さかった時分にもまれにしか覚えのないような感動と心のやわらぎ

今日はわっしょいハウスと欄干スタイルの演劇の稽古場の見学に行って来た。わっしょいハウスも欄干スタイルも2月に「人は死んだら木になるの」というお芝居を上演する。ひとつの戯曲を三つの団体がそれぞれ違った演出をつけて上演するという企画。くわしくはこちら
欄干スタイルは通し稽古をしていたので、幸運なことに僕は「人は死んだら木になるの」を始めから最後まで通してみることができたんだけど、感想は、ひとことで言うと、「なんだ、俺が書いた戯曲の方が全然おもしれえじゃねえか」という傲慢で不遜な感想だった。ただし、俳優の存在感や演出家の斬新な発想はおもしろいし、さすがだなあと思う。
わっしょいハウスの稽古を見て、人が人をおんぶするということの温かさを感じて、今度書く戯曲にはおんぶのシーンを入れてみようかしら、と思った。

   @@@

アンナ・カレーニナ』をまた読み始めた。レーヴィンがキティに恋をしている場面がやっぱり僕は一番好きで、「しかしいつも思いがけず彼をおどろかすのは、柔和な落ちついた正直そうな彼女の目の表情、わけても彼女の微笑であった。その微笑を見ると、レーヴィンはいつも魔法の世界に誘い込まれ、ごく小さかった時分にもまれにしか覚えのないような感動と心のやわらぎを覚えるのであった」なんて書いてあるのを読むと、バスの中で本を読みながらひとりでニヤニヤしてしまう。トルストイさんもこんなふうに女の子に恋をしたのだろうなあ。恋をするという気持ちは、19世紀のロシアの人も、21世紀の日本の人もあんまし変わらないんだなあ。
レーヴィンがキティに恋愛する一途さは、少女まんがの一途さに似ている気がする。19世紀のロシアの人たちは少女まんがを読むみたいな感覚で『アンナ・カレーニナ』を読んでいたのかもしれない。
それにしても「ごく小さかった時分にもまれにしか覚えのないような感動と心のやわらぎ」というのはおおげさで良いなあ。なるほど恋愛をするとおおげさな感情になるものなあ。

   @@@

こんど、気になる女の子をデートに誘ってみようかしらと思ってるんだけど、いっしょに国立民俗学博物館に行きませんか、と誘ってみることに決めた。モノレールにも乗れるし、太陽の塔も見られるし、イヌイットのかわいい彫刻も見られるし。オウケイしてくれると良いなあ。