そういえば俺のうちにはマリモがあったのだった

 こないだ『シナの百科事典』についてあれは変だと書いたけれど、よく考えて見ると『シナの百科事典』を変だと思うのは僕が『シナの百科事典』が書かれた時代よりもずっとあとの時代にいる人だからかもしれない、とか思う。『シナの百科事典』がいつ書かれたものなのか僕は知らないけれどもたぶんかなり昔の時代に書かれたものなのじゃないかしら(あるいはもしかしたら実は小島信夫の創作なのでした、ということもありえなくないけど)。『シナの百科事典』が書かれたころの中国の人たちは、今の時代の人たちが考えるのとはだいぶ違った見かたで世の中を見ていたはずで、そうするとそのころの人が考える動物は「お話に出てくるもの」であり「ラクダの毛のごく細の毛筆で描かれたもの」であり「とおくから蠅のように見えるもの」であったのではないか。「とおくから蠅のように見えるもの」が近づいてみれば実はくぎの頭だったとしても、それはやっぱりその頃の人たちに言わせれば動物だったのじゃないか。動物という言葉でとらえているものが今の人たちよりも断然広いものだったのじゃないかしら。

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 甘もの会に上演してもらうために書いている戯曲が3分の1くらいまで書けた。今回は特に話のあとさきを考えずに思いついたことを書いて行くということを意識して書いているのだけれども、そうするとたまたま誰かのブログで読んだことだとか、職場とかで人から聞いた何気ない一言だとか、たまたま人から借りて読んだ本に書いてあったこととかがどんどん戯曲に吸い寄せられて、戯曲の中に組み込まれて行くようだ。
 今回もまた群馬県の人が出て来る話なので、僕は仕事中の暇なときなどに群馬のことをいろいろと思い出している。「そういえば俺のうちにはマリモがあったのだった」ということなど、僕はもう十年くらい思い出したこともなかったのだけれども、そんなことをふと思い出し、そうやって思い出されたことはどんどん戯曲に組み込まれて行く。