ジミー・ペイジはどんな音楽をきいていたのか

ジミー・ペイジはどんな音楽をきいていたのか。ジミー・ペイジはブルースをきいていた。ジミー・ペイジはロックをきいてロックをつくったわけではなくて、ブルースをきいてロックをつくったのだった。ほんもののロック音楽をつくって演奏するためには、ロックをきいているだけじゃだめなのだ。ブルースをきかなくちゃだめなのだ。おおもとのねっこにあるものをきかなくちゃ、ほんとうのロックはつくれないのだ。
では、演劇の場合はどうか? 演劇をみているばかりじゃ演劇はつくれないのではないかしら。ロックにとってのブルースのような、演劇のねっこにあるものをみなくちゃ演劇はつくれないのではないか。しかし演劇のおおもとっていったいなんだろう? ギリシア悲劇とかのことだろうか。シェイクスピアだろうか。能とか狂言とかもそうかもしれない。それとも舞踊とかもみといたほうがいいのかもしれない。

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こないだにがうりをもらった。にがうりは好きだ。三度のめしより好きだ。
今日はニシンのこぶ巻きをもらった。小さい頃はこういうじっとりと醤油がしみ込んでいるような食べ物が苦手だったが、最近はそうでもなく、むしろ好きである。三度のめしより好きである。

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しばらく中断していた『アンナ・カレーニナ』をまた読み始めた。
レーヴィンがキティと婚約した!
引用「彼女の言葉に、特に変わったことは何ひとつないように思われたけれども、彼女がそう言ったとき、声のひとつひとつのひびき、唇や、目や、手のひとつひとつの動きに、どれだけの意味がこめられていたか、彼にはとても言葉では言い現わせぬほどであった! そこには、許しを願う気持ちも、彼に対する信頼も、愛撫--やさしいおずおずとした愛撫も、約束も、希望も、彼への愛情もこめられていて、彼はそれを信じないわけにはいかなかった。幸福のあまり彼は息がつまりそうだった。」
こういうところを読むと、ことばで表すことができるものだけがことばじゃないんだよな、と思ってうれしくなる。「もうしわけありませんでした」ということばで「このやろう、ぶっ殺すぞ」という気持ちを表現することもできるし、「嫌い」ということばで「好き」という気持ちを表現することもできるし、そういうのがやっぱり人間のことばのおもしろいところなんだろうな、と思う。

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甘もの会のための戯曲が半分くらいまで書けたが、しばらくそこでとまっている。ずっと前、遠距離恋愛のことを戯曲に書いてみたいと思っていて、けれども今回は姉と弟のことを書くことにしたので、遠距離恋愛は捨てたつもりだった。それが書いているうちに遠距離恋愛もこの話に混ざってきてしまって、しかも油断していると宇宙怪獣までが顔を出しそうな不穏な雰囲気である。「夢のような話」と、とりあえずの仮題をつけてみた。

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芸能山城組のケチャまつりがすごい気になる。
http://www.yamashirogumi.gr.jp/event/event.html
行ってみたい。

芸能山城組のこの音楽をきくとむずむずと興奮してなんだかいてもたってもいられないような気持ちになるのだ、ぼくは。