甥に会いに行った

 今朝目をさますと腕がものすごくだるくてびっくりする。きのう僕は何か重たいものを持ち上げたのだっけ? と、ふとんの中で自問してみる。そうか、僕はきのう甥のコウタロウを持ち上げたのだった。弟夫婦の家に遊びに行き、すき焼きをごちそうになり、ビールを腹一杯飲んで、それからコウタロウにたかいたかいをしてやったのだった。コウタロウはたかいたかいをとても喜ぶ。弟がコウタロウにたかいたかいをしてやっているのを見て、僕もまねてたかいたかいをやってみたのだけれども、赤ちゃんって結構重たいのだなとびっくりした。父母というものは大変な腕力が必要なのだな。ぼくは普段から図書館で重たい字引なんかを運んだりして、自分では結構腕力が最近俺はついたかも、とか思っていたのだけれども、お父さんお母さんの腕力にはきっとまだまだかなわないのだろう。
 お盆に群馬の両親の家に帰ったときに昔のアルバムをほじくり返して見て来たのだけれど、そのとき見た弟の幼いときの写真に、コウタロウはそっくりだった。笑うと眼のあたりが似ている。僕と弟が楽しそうに遊んでいるその写真をお盆に群馬の家で見たときは、「この幼い頃の時間はもう二度とは帰ってこないのだ!」とかちょっと思って、なんだか残念なような気持ちになったりもしたのだけれども、コウタロウを見ていたら、「なんだ、幼い頃の時間はここにちゃんとあるじゃないか」と思い、なんだか安心したものだった。僕らが子どものころの時間というものはもうどこかへ消えちゃったけれども、コウタロウがその時間をこれからまた繰り返してくれるのだから、べつに残念がることなんて少しもなくて、コウタロウに存分にその時間を体験してもらえばそれでいいのだと、帰りの電車にひとりで乗っかっているときに考えた。
 弟の家の六畳の部屋にはものすごく大きな液晶のテレビがあって、日曜日だったもので僕らはそのテレビで『笑点』を見た。そしたらなんか座布団運びの山田君が「師匠、ありがとうございました」とか言って泣いている。円楽さんは死んでしまったのか? ぼくはちっとも知らなかった。
 「うちは出産のときにビデオで撮影なんかしなかったけど、もしも私が出産しているときにこの人がビデオで撮影なんてしていたら、出産の最中に『あ、バッテリーが、バッテリーが』とか言われていたら、『はあ? なにこのひとは?』とむかついて、離婚だってしかねないぐらいむかついて、もうどうなっていたかわからない」というようなことを弟の奥さんは言っていて、それを聞いた僕は、人を写真(とかビデオとか)に撮るということはどんなことなのか、ということを考えた。人を撮影するということは、撮影対象になる人を「物」にしちゃうことなんじゃないかしら。「撮影しないでください」というのは、「私を物あつかいしないでください」ということなんかもな、とか思う。

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 『どどめジャム』の第二稿が最後まで書けた。思えば去年の十月の終わりに甘もの会の『炬燵電車』の上演があり、そのときに僕は「よし、次は甘もの会のために新しい戯曲を書くぞー」と言ったのだけれども、ぜんぜんその戯曲をかき出すことができず(なにを書いていいやらちっとも思いつかず)、春頃になってやっと「夢のような話」という戯曲を書き始めたのだけれども夏にそれが行き詰まり、また初めから新しく書くことにして、こんどは「どどめジャム」というタイトルで書き、その第一稿がひと月ほど前に書き上がった。これはいいのが書けたぞと思って読み返してみるとあんまりおもしろくない。それでまたその第一稿を頭からほとんど全部書き直して、やっと昨日の朝に第二稿が書けた。明日からはこの第二稿をまた頭から書き直して行く作業に入るわけだけれども、でもおそらくもうそれほど大幅に書き換えることはないだろう。まだ完成したわけじゃないのだけれども、肩の荷が下りたようなだいぶ楽な気分。
 『どどめジャム』は甘もの会が2010年に東京のどこかで上演することになると思うので、東京方面の人はぜひみに行ってください。

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 そうこうしているうちに、北青少年活動センターのエコフェスタでの僕のライブ演奏が今度の日曜日にせまって来ている。なんかエコな感じの新曲でもつくらねば! ということで、さっきなんとなく新曲をつくってみた。まだ歌詞とか固まっていなくて適当なんだけれども、さっそくyoutubeにアップしたのだった。

 1時間半とかの戯曲を書くのにはものすごい時間がかかるけれども、3分くらいの曲だとパッとできるので楽だ。