「どどめジャム」のアイデアはどこから来たのか? そもそもどうして「どどめジャム」なんて題名をつけたのか?
「どどめジャム」のアイデアは斎藤喜博の『学校づくりの記』から来たのだった。『学校づくりの記』は斎藤さんが群馬の島村という村の小学校で校長先生をしたときの記録なのだけれど、この本の中にどどめジャムのことが書いてある。以下引用。
***
平井静子さんは、よい学級づくりのほかに、家庭科の実践をひらいていた。「どどめジャム」の実践はその一つだった。島村は桑畑が多いので、桑の実がいっぱいなる。その実を土地では「どどめ」といっているが、「食べると病気になるから」といって食べさせないようにしていた。平井さんは、その桑の実をつかってジャムを作った。
実習をする四年生も、はじめはいやがったが「みんなができないと思っているものでおいしいジャムを作ってみましょう。みんなが気づかないものから、よいものをみんなの力で作り出しましょう」と平井さんに励まされたので乗り気になって作りはじめた。するとその様子をみた上級生が「クソどどめ」とか「きたない」とかいって廊下を通ったり、実習しているところをのぞいて鼻をつまんだりした。家庭でも「あんなきたないもので実習させなくてもよいのに」と子どもの前でいったり、「ジャムなどできやしないよ」と子どもにいう親たちも多かった。だがみんな気をそろえて一生けんめいに作り、パンにつけて食べた。家へ持っていって家の人にも食べさせた。
平井さんは実習が終わってからどどめジャムの特集号として学級文庫を出した。その文集には、どどめジャムの作り方や、どどめジャムの勉強についての、子どもや先生や母親の感想が書いてあった。お母さんの感想はつぎのようなものだった。
甘味がたりなかった 照夫の母
とてもおいしくよくできていました。照夫がもってきてくれたのを家中して、わけていただきました。どどめそのままの味がよくいかされていましたことにかんしんさせられました。こんどどどめができたとき、照夫がおしえてくれるといったので、つくってみたいと思っています。よくをいうと甘味が少々と、今少しつぶした方がなおおいしく食べられるのではないかと思いました。
いちごの香料をいれたらば 和夫の母
先日のどどめジャムはあまりすくなかったので、よくあじはわかりませんでしたが、少しおさとうがたりないように思いました。それにもっとわかいうちに赤みがあるくらいがよいのではないでしょうか。につめをよくして、いちごの香料をいれたらよいと思います。これは私の思ったことをいいました。
また、平井さんは「どどめジャム」のことを詩に書いた。
どどめでジャムが
できるんかい
おらはじめてだ
あたいもはじめて
先生だって はじめてさ
みんなの作った
どどめジャム
パンにつければいいにおい
大口あけて パクパクと
みんなのベロは まっくろだ
この詩は、志賀さんの作曲で子どもたちに歌われた。また平井さんの脚本で、四年生全員と平井さんが出演して母親たちにみせた「どどめジャム」という劇の最後の場面にも、ほがらかに高らかに、この歌が歌われた。この劇は、友だちや母親に笑われ苦情をいわれながら作った「どどめジャム」が、おいしくて、みんなに喜ばれ、自分たちも、創造する喜びを覚えた、というすじのものだった。
***
斎藤さんが島村の小学校にいたのは1952年から十年間くらいなので、このどどめジャムの実践もそのころのことだろう。
僕が子ども時代を過ごした1980年代の群馬でも、どどめはあまりきれいなものではないと、たしか言われていて、あまりおおぴらに食べることができなかったように記憶している。あのころはまだ僕の家の近所でも養蚕を続けている家が残っていたから、夏の夜に花火などするときは花火の煙がお蚕さんに毒なんじゃないかと心配しながらやっていたように思う。