うまい棒でも

今日もまた仕事中に新しいアイデアがやってきた。戯曲を書くのに行き詰まってもんもんとしているときは「なんで俺はこんなつまらない話しか書けないのか」と思って引きこもりになってしまいたいなどと考えたりするのだけれども、おもしろそうな展開とかを思いついて「あ、これでなんとかなりそうだ」となったときにはそれこそ天にも昇るようなハッピーさで、顔を合わせるひと全員にうまい棒を一本ずつ配ってあげたいような気分になる。
今まで書いていた『どどめジャム(仮題)』では、石かつぎの石井さんは三十三歳ぐらいの女の人であるという設定だったのだけれども、いまひとつ女の人である必要性がわからず、ついでにいうならば石かつぎが登場する必要性もいまいちわからなくて、石井さんがいなくても全然成立してしまう話だった。しかし今日やってきたアイデアによると、やはり石かつぎはどうしても必要で、石井さんは女性でなければならないのだということになった。
『どどめジャム(仮題)』の中心にいるのは七五三太と七五三太の姉と七五三太の婚約者の3人で、この3人の関係を書くことばかりにぼくは執着してしまっていた。そのせいで話の流れはまっすぐストレートに流れすぎ、それにその3人の外にいる石井さんや七五三太の幼なじみの存在が薄くなり、単調な戯曲になっていたのだった。
今日思いついたのは戯曲の裏にある設定みたいなもので、この設定を取り入れて書き直して行けば、石井さんも七五三太の幼なじみも見違えるほど生き生きとして来るのではないかしらと思う。
忘れないうちにその新しい設定をここにメモしておく。
七五三太が子どものころ、山の上には石井さんという若い女の人がいて、ときどき子どもたちを集めて大きな石をかついで見せてくれていたのだった。石井さんはノーブラなので、夏の日にTシャツ一枚で石をかつごうとして前屈みになったりすると、Tシャツの丸首の隙間からポロッとおっぱいが見えたりしたものだった。七五三太は決しておっぱいを見たいために石かつぎの見物に行っていたわけではなかった。石井さんが力いっぱい石をかつぐ姿を見るために山に登っていたのだった。しかしそうは言っても、ポロッとおっぱいが見えるとやっぱり嬉しいもので、何度も石かつぎを見ているうちに、いつしか石井さんが石をかつぐ姿に感じる興奮と、石井さんのおっぱいが見えたときに感じる興奮とが混ざりあってしまい、石井さんの石かつぎになんとも言えない官能を感じるようになった。が、中学生になり高校生になり、部活に入って暗くなるまでバスケットボールをしたり、遠くの高校に電車で通ったりするうちに石井さんのことは忘れてしまい、自分は本当に石かつぎを見ていたのかしらと、石井さんの記憶はぼんやり薄れていく。
七五三太が保育園に通っていた頃、近所に住む敏子ちゃんとふたりで、よくままごと遊びをしたものだった。このままごと遊びの最中に七五三太は敏子ちゃんと生まれて初めての接吻をしたのだった。小学生のうちは学校の帰り道を一緒に歩いたり、わけもわからず結婚の約束をしてみたり、ふたりで「マリオブラザーズ」で遊んだりしたのだったが、中学に入るころから顔を合わせてもあまりしゃべらないようになり、高校は別々の高校に通い、七五三太が高校を卒業したあと東京の大学に入ってしまってからは、もう十年くらい顔をあわせていない。敏子ちゃんは高校を出たあと地元の信用金庫に就職して、今でもそこで働いている。
七五三太は東京で就職し、職場で知り合った八重と結婚することになり、結婚前に実家に八重を連れて来る。八重と姉と七五三太の三人で久しぶりに山に登ってみると、そこには今でもまだ石かつぎを続けている石井さんがいて、十年ぶりで顔を合わせる敏子ちゃんまでもがそこに登場する。
『どどめジャム(仮題)』に足りなかったのはエロさじゃないかしら。七五三太が幼い頃に石井さんの石をかつぐ姿に感じたキューッとせり上がるような感じとか、敏子ちゃんとままごとをしながら接吻をしたときのお母さんには内緒にしておこうといった感じとか。そういうエロさをバーンと表に出すと、たぶん下品な戯曲になっちゃうので、どことなくほんのりとエロさを感じるという、そういう戯曲にしたい。