ひらパーにでも

今日も『どどめジャム(仮題)』をどう書き直したら良いかということを考えながら仕事に行っていたのだけれども、図書館の受付のデスクにじっと座って通り過ぎる学生を眺めているときに、ぼくの頭に新しいアイデアがやって来た。『どどめジャム(仮題)』には石かつぎの石井さんが出て来るんだけれども、この石井さんが石かつぎのくせに結局石をかつげないまま終わってしまっていたのだった。この石井さんに石をかつがせてあげればいいのだ、というのが新しいアイデアである。これは新しいアイデアといってもたいへん単純なアイデアで、アイデアというよりも書き始めたときにいったん捨てた設定をまた拾って来たという感じ。しかし石かつぎが石をかつげないというのはED的なすっきりしない感じがあって、石井さんが石をかつげれば、すげえすっきりするんじゃないかと思って、それを考えただけでだいぶぼくはすっきりしてしまった。
台本を書くのは、向かい風の中をぎりぎりと一歩一歩進んで行くみたいな感じで、それはもう途中で放り出してひらパーにでも逃げて行きたくなるような大変さである。それでも放り出さないで書き続けて行くというのは、やっぱりこれを上演しなくちゃならないというプレッシャーがあるからなのかしら。観客の前で『どどめジャム(仮題)』を上演したときに「なんだ、この劇を書いたやつはばかじゃないか」と思われてはかなわない、そんな恥さらしな中途半端な台本にはできないぞという気持ちがあるからかしら。