富岡製糸、カッパピア、新村出

 このごろ群馬のことが気になって気になってしかたがない。図書館で借りて来た『日本のふるさとことば集成』の群馬の巻の付録にはCDがついていて、群馬の老人四人が五十分間ずっと蚕の話をしているこのCDを僕は毎日寝る前に聞いているのだけれど、これがたいへんいいCDで、ちゅんちゅんと鳥が鳴く声だとか(たぶん縁側でしゃべっているのだろうな)、ボーンと鳩時計が鳴る音だとかも入っていて、どもりも言い間違いも入っていて、1983年にこの会話が録音されたときすでに80歳とかになっていた老人たちはきっともう死んでしまっているのだと思うんだけど、死んでしまったあとでもこうやって毎日僕の部屋の枕元で蚕の話を延々と続けるというのはどんな気分かしらとか思ったり思わなかったりもするんだけれども、とにかく何度聞いても飽きず、繰り返し繰り返し僕はこの老人たちの会話を聞いている。
 この会話をずっと聞き続けていると、今度は蚕のことや富岡製糸のことなんかが気になって気になって、それで僕は和田英の『富岡日記』を図書館で借りて読みはじめた。まだ初めの方を読んだだけだけれども、こういう人たちが富岡製糸で働いていたんだなーとか思って、結構おもしろい。
 「その内段々暖かになりまして、蝿が沢山出て参りました。あまり退屈(たいくつ)でたまりませんで、誰が 致しましたか蝿を捕えまして、羽根をもぎまして、蝿の背中に、ミゴの小さいのをさして、それに まゆの綿をより付けて、繭を一粒付けて引かせました。中々面白うございますから、追々皆が致 しまして、私までやりました。私はミゴに小さい紙を付けてさしましたから、丁度旗を立てたよ うになりまして、皆下を向いて内々笑って楽しんで居ますと、つい高木さんが見付けまして、思 わず笑いましたが、また真面目(まじめ)になりまして、これは誰が致しましたと尋ねましたが、一同存じ ませんの一点張りで通しましたが、その後はこれもすることが出来ません。」なんてことがずっと書いてある。

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 そして群馬といえば、なんといってもカッパピアである。カッパピアは何年か前に閉鎖してしまった群馬の遊園地である。ちらっとグーグルなどで調べただけでもこれだけカッパピアについて書かれたウェブ・ページをみつけた。
http://nekofami.ndap.jp/kapa01.html
http://nisechuu.hp.infoseek.co.jp/kap1.html
http://nisechuu.hp.infoseek.co.jp/kap3.html
http://ibaragiya.web.infoseek.co.jp/minor/kappapia/pia_a/pia_a1.html
http://www12.plala.or.jp/TEKKEN/main3/kappapia.html
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn009/kappapia/kappapi1.html
 ああ、俺はもう二度とカッパピアには行くことができないのか! と思うと死ぬほど残念だ。

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 今年のお正月、僕の働く大学図書館に返却されて来た本の中にお年玉が挟まれていたことがあって、そのときは僕はねこばばをせずに同僚の人に「お年玉がはいってました」と正直に言って、それでたぶんそのお年玉は持ち主のところにかえっていったのだけれども、今日僕が本のページの間から見つけ出したのは新村出の名刺で、名刺なんてどうせゴミ箱行きなんだろうからと思って、僕はその名刺をもらって帰って来たのだった。新村出広辞苑を編纂した人だ。新村出の名刺はドイツ語の本の中に挟まれていた。この本は大学の元総長が大学図書館に寄付したものであるらしい。新村出は京大で先生をしていたらしいので、大学の先生同士で名刺の交換とかしていたのだろうな。そして元総長はもらった名刺をしおり代わりに本のページに挟んだまま忘れてしまい、忘れたまま本を図書館に寄付したのだろうな。それとももしかしたら、あのドイツ語の本は元総長が新村出からもらった本だったのかしら。
 僕は京大の先生では桑原武夫が好きなのだけれども、ことによったら桑原武夫の名刺だってどこかの本の間から出て来たりするのかもしれない。