愛宕山

隣の家からお経がきこえる。お経のリズムに合わせるように蝉が鳴いている。何か響きあうものがあるのか、それとも私の気のせいか。今朝は寒いくらいに涼しくて空気の感じがもう秋っぽいな、と思っていたら、正午に近づくにつれてだんだん暑くなって来た。今日がこんなにも洗濯にぴったりの日になるとは。それであわてて二度洗濯機をまわした。暑いけれども、7月のようなはげしい暑さではない。太陽の光もなんだか少し弱いような気がする。ああ、秋はもうすぐそこまで来ている! 早く花火をしなくては。早くトウモロコシを食べなくては、早く水泳をしなくては。ぐずぐずしていると、あっと言う間に夏は終わってしまう! 昨日は妻と二人で愛宕山に登った。山道にはほとんど人がいなくて、人とすれ違うときには、どちらからともなく、こんにちはと挨拶を交わした。ヒグラシが盛んに鳴く場所があり、そこでは山道の右と左とに別れたヒグラシの群が、コール・アンド・レスポンスでもするように鳴き声をかわしていた。カナカナカナカナと右のヒグラシが一斉に鳴き始め、息つぎでもするように鳴きやむと、今度は左のヒグラシがカナカナカナカナと鳴き始める。左が鳴きやむとまた右が鳴く。そんなヒグラシの群れを通り過ぎてしばらく行くと、今度はぜんぜんヒグラシの鳴かない場所に出る。いい香りのする風が吹き、見上げるとずっと上の方で葉っぱがさわさわと揺れていた。葉っぱの間からは白っぽい空が見え、サーッと葉っぱのこすれあう音がした。そうかと思うと蠅やカナブン、それに蜂が群がる場所があり、そこを通ると、ブブブブブといやな羽音をさせて、しつこく蜂がついて来る。ヒグラシも蜂もいない場所では、遠くでなく鳥の声が聞こえた。山道の両側ににょきにょきとはえていた木が突然途切れて、京都の街を見おろせる場所に出た。建物がびっしりと敷き詰められている中に、大きな緑の四角が見える。あれはきっと御所だろう、その上には大文字の三角が見える、視線を右に動かすと京都タワー、そんな景色はどこか薄い青の色で、雲の影なのか、日なたの場所と日陰の場所がここからははっきりと見て取ることができる。山の音を聞きながら歩き、パッと出現する街の景色を見おろし、それからまた人のいない山道を歩きながら、私と妻がふたりで言い合っていたのは、なんかあの世を歩いているみたいだね、ということだった。私と妻はあの世を歩いていた。人生はすでに終わっていた。すでに終わった人生を、今まで歩いて来た道を振り返るように眺めていた。今歩いている山道はかつての人生ですでに歩いた山道だった。俺がいま歩いている山道は、俺の人生の中のどの時間に登った山道なのか。父親と一緒に登った群馬の家の近くの山道なのか、高校3年のときに友だちと登った谷川岳か、一人で歩いたイギリスの湖水地方か、東京でひとり暮らしをしていたときに何度も歩いた、日野の高幡不動の裏の山道か、それとも今度妻とふたりで行くことになっている屋久島を歩いているのか。この山道は、いったいいつの山道だ。群馬の家の近くの山を父と二人で歩いたとき、山の斜面には雪がつもり、空も地面も真っ白だった。白の中から黒い木の枝が飛び出している。ふと地面をみると、大きな熊の足跡があった。足跡はおとなが尻餅をついた程の大きさで、ポツンとひとつだけそこにあった。この山にはこんな大きな熊がいたのか、いくら父が強くたって、こんな大きな熊に出会ってしまえばひとたまりもないだろう。ふたりとも食い殺されてしまうに違いない。もうこれ以上登りたくない! 泣きべそをかく私をそこに残して、父は雪の斜面をどんどん登って行く。おっかねんだったら一人で帰んな、そんなことも父は言ったのかもしれない。私は父のあとを追いかけて山を登っていった。頂上には神社があり、神社の石段にはメタリック・ブルーのしっぽを持つトカゲが日光浴をしていた。私と妻は賽銭箱に小銭を放ってガラガラと鐘をならし、それから見晴らしの良い丸太のベンチで京都の街を見おろしながらおにぎりを食べ、同じ道を通って下山した。ふもとに着いたのは五時前だったろうか、太陽は今まさに山の向こう側に沈もうとしていて、そして下界でもやっぱりヒグラシが鳴いているのだった。

愛宕山のふもとに建つ休憩所の写真だよ〜。