音を聞かないで音楽を鑑賞する

あさってはもう屋久島にいるのか。しかしなんだか自分のあまりの準備してなさ加減にびっくりする。その一方で、妻は忙しく走り回って大きなカバンを出して来たり、フェリーが揺れるらしいというので酔い止め薬を用意したり、汗がすぐに乾くTシャツを買って来たり、時刻表を調べたりと大忙し。その横で僕は昨日からずっと『宅録』を読んでだはははと笑っているというだめっぷり。
この本で紹介されている何十枚ものCDのほとんどを僕は聴くことがないだろうと思うんだけど、もう、これ読んで「どんな音なのかしら」と想像しているだけで楽しい。お風呂の中とかでうしゃしゃしゃと笑いがとまらない。

仰向けで漂流するフラットな歌声、コードを支えるだけの鍵盤やエレキ、コンペイ糖のようなリズム、そして実音よりも重力のある無音地帯…

とか、

老婆の手絞りによるグレープフルーツジュースのような苦みや渋み、いっぽんの割り箸で冷や飯を食べるような寂しさにあふれた…

とか。
こういう文章を読んで、そのような苦みや渋みや寂しさを感じさせるCDとはどんなCDなのか、ということを想像するのがたまらなくたのしい。