森の奥で水を飲む


とうとう屋久島から帰って来てしまった、という残念な気持ちはあまりなくて、むしろ屋久島を経験したあとの世界にやってきたのだな、という前向きな気持ちだ。屋久島でいろんな人やら景色やらに出会ってしまったあとでは、世界がこれまでとは少し変わって見えるようだ。いままで興味がなかったものにがぜん興味が出て来て、逆に、今まで興味があったものがかすんで見える。たとえば宅録をしようなどという気持ちはもうどこかへ行ってしまっていて、コンピュータに向かってギターを弾くよりも、虫のなく声を聴いていたほうが気持ちいいと、そういう人間になってしまった。植物を見る目が屋久島行き以前とは変わってしまい、木の枝に苔が生えてそこから別の木が芽を出しているのとかを見つけると、「あ、あれは着生しているのだな」と、いままで目に入っていなかったことがどんどん目にとびこんで来る。
僕らが泊まったのは「モスオーシャンハウス」というところで、ここに4泊した。ここのIさんという人は、僕の妻が大学生のときに入っていた音楽サークルの友だちで、なんでも学生時代はもじゃもじゃのカツラとかをかぶって、ジミヘンを歌ったりしていたのだという。Iさんは大学を卒業したあと、二日くらいのつもりで屋久島に来て、来てみれば二日が三日になり、三日が四日になり、そのうちに泊まっているところの片付けの手伝いなどをやりだして、そのうちにガイドの仕事を初めて、それが宿の経営にまで広がり、気がついてみれば十年たってたのだという。奥さんやハウスの従業員さんも、始めは旅行で屋久島に来て、気がついてみれば屋久島に住んで結婚したり働いたりしていた、そんな話を聞くと屋久島の吸引力にびっくりする。びっくりしつつすでに自分も住みたくなっている。宿泊施設をやっているといろんな苦労があるとは思うけど、Iさんはいたって自然体で、庭にぶーっと車が入って来ると、ぞうりを引っ掛けて縁側からぺたぺたと外に出て、車から降りて来たお客さんに「XXさん」と呼びかけ、そのまま二人で海を見に行き、がっちりと握手をしたりしている。仕事ってああいうのでいいんだよな、とふと思う。きりきりと細かいことに目くじらをたてて、夜も眠れない程のストレスを感じながら働くなんて、ほんと良くない。

屋久島といえばとりあえず縄文杉でしょう、ということで、僕らも始めは縄文杉が気になっていたのだけれども、事前にメールでIさんとやりとりをしていると、もっといいところに連れてってあげる、ということで、お任せツアーのガイドをしてもらった。このガイドというのがおもしろくて、ただ道案内をしてくれるだけではなく、森のいろんなことを教えてくれる。杉にはえた苔を台にしてはえるのが着生植物だとか、ヤマグルマは葉っぱが車のようについているとか、苔も木もDNAも、自然のものは螺旋を描くようだとか、今見ている景色が、京都の本当の植生なのだとか、草の方が木よりも進化しているのだとか、黒潮の終点はアラスカだとか、その視点は屋久島に限定した視点ではなく、アラスカやらフィリピンやらまで、その目はワールドワイドに広がっていて、またミクロからマクロまで、大昔から未来まで、僕たちがいままで知らなかったことがどんどん頭に流れ込んでくるようで、目からうろこが落ちてばかりだった。

樹齢千年以上の杉を屋久杉と呼ぶらしいのだけれども、屋久杉というのは縄文杉以外にもいっぱいあって、森の中をあるいていると、いろんな屋久杉にでくわす。そして苔や木やいろんな植物や水や岩や。そんな自然の中を歩いて、ガイドさんのお話を聞いていると、僕は自分がやがて死ぬんだな、ということを思った。ネガティブな意味ではなく、いい意味で死ぬんだなと。死んで微生物に分解されて、誰かの栄養になって、そうやってどっかに行ってしまうという、その自然の流れの中にいるんだなと。自分と世界の戦いでは、常に世界の側に見方しろ、みたいなことをカフカが書いていたけれども、ほんとにそうだなと思う。「僕」なんていうのはほんとに小さな存在でしかなく、世界はもっとずっと大きい。世界は僕が生まれるよりもずっと前から存在して、僕が死んだあともずっと存在し続ける。その大きな流れのほんの一瞬に僕という存在があって、それはすぐに消えてしまう存在だけれども、そんなもの消えてしまっても世界はびくともしないでありつづける。それはしかし、だから適当に生きてもかまわない、ということではなくて、一瞬で消えてしまうものだからこそ、ちゃんと大事にしないとな、ということにもなる。自分一人の人生という短い時間の尺度でものごとを見るのではなく、屋久杉みたいに何千年という時間の流れを頭において物事をみると、もっと世界が違って見えるのだろうなと、そんなことはこれまでほとんど考えたことがなかったけれど、自然の中を歩いていると長い長い時間が生々しくせまって来る。

そして屋久島は水の島だった。雨がふり、霧が出て、水がわき、川がながれ、滝もあったりして、海が島を囲んでいる。苔には水滴がつき、いつも潤っている。水がうまい、気がする。

一緒にモスオーシャンハウスに泊まった人が「ぼく、写真やってるんで」といって、ポラロイドカメラで撮った宿から見える崖の写真をくれた。で、あとで調べたら、実は

100人のおしり写真集 (祥伝社黄金文庫)

100人のおしり写真集 (祥伝社黄金文庫)

この本の写真を撮ってる写真家の人らしく、これは僕が何年か前に本屋さんで見て買おうかどうしようか迷った末にがまんして買わなかった写真集なのだけれども、あのときこの写真集を買っておけば、この写真家の人との出会いもより感動的だったのではないかと思い、今からでも遅くはない、アマゾンに注文しようか、と迷っている。しかし、何かを所有したいという欲望や消費したいという欲望が、屋久島以後の僕は弱って来ていて、もうこれから先の人生は、本当に必要なものだけを身近において暮らして行きたいというそんな気持ちにもなっているので、写真集はしばらく様子見で。
Iさんにはマングローブにも連れて行ってもらった。僕の両親が新婚旅行でどこか南の島に行ったとき(奄美大島だっけ?)、見たことのないエキゾチックな植物があったので、「あれはなんですか?」とガイドさんに聞いたら、ガイドさんが「まん五郎」と答えたので大笑いした、という話を聞いていたので、これはぜひとも僕も見ておきたい、と思っていたのだけれども、屋久島に一カ所だけ残っているという栗生川のマングローブ

こんなちっちゃいマングローブで、開発のせいで全滅しかけたところをなんとか救って、いま増やしている最中とのこと。あまりにちっちゃくて狭くかたまっているので、「がんばれー」と応援したくなる。