一奏を歩く

屋久島で過ごした最後の夜は十五夜だった。
屋久島ではこの日、綱引きをして名月を愛でるのだという話を僕と妻はIさんに聞いて、ぜひともそれを見てみたいと思いつつ、しかし綱引きは夕方からやるらしいとのことなので、じゃあそれまでうろうろして時間を過ごそうじゃないかと思い、朝から海水浴に出かけた。一奏の海水浴場。そこに行けば更衣室もあるだろう、浮き輪を貸してくれるお店もあるだろう、カレーライスを食べさせてくれるお店もあるに違いない、そう思ってバスを降りてみれば海と砂浜以外にはトイレくらいしかないところだった。お店なんてなんもない。とにかく静かで、始めのうちにいっぱいいた観光客が移動してしまったあとでは、ほとんど人がいない。このそっけないくらいにシンプルな海がとても良かった。

こんなにきれいな色の海というのは写真やテレビでしか見たことがなかったけれども、いや、ほんとにこんな色があるんですね。疑って悪かった、と誰かに謝りたくなるほどのきれいさだった。大学生らしき若い男女が「俺は**を愛してるぞー!」なんて怒鳴りあっているのを横目で見つつ、僕と妻は一時間ほど泳いだ。海って言うのは、砂浜に座って見ているだけではテレビを見ているのとあんまし変わらない気がするけど、やっぱり水着を着て海に入ってみると、ぜんぜんやっぱり楽しさが違う。なんでもその中に入って経験しなくちゃ良さが分からないのだな、という教訓を得た。で、昼になり、腹も減ったしそろそろ、ということで水道で体を洗ってからトイレで着替え、ぺたぺた歩いて一奏まで行く。

何か食堂はないかしらと、ガソリンスタンドのおばちゃんに聞けば「なっちゃん食堂」という食堂を紹介してくれて、そこでカツ丼や焼うどんを食べた。なっちゃん食堂には7月に東京から戻って来たばかりだというおじさんがいて、焼うどんをつまみながら発泡酒を飲んでいる。久しぶりに見るテレビでは上沼恵美子が麦の料理を作っていて、それを眺めながらおじさんは「ビールもういっぽん」といって、のどごし生を三缶飲んだ。おじさんが街の大きさを計る尺度がパチンコ屋があるかないか、というのがおもしろくて、いろいろと話を聞く。今日は綱引きの日ですか? とたずねれば、
「あっこのガジュマルの前に綱があったでしょ?」
というので、さっそく僕と妻は「やー、まだ見てなかったですよ」といいつつ綱を見に行く。

小学校のときの運動会で綱引きに使った綱を想像していたんだけど、とんでもない話で、こんなにも極太の綱。そしてどこまでも長い。
一奏は、さんさんと照りつける太陽の下で昼寝をしているようなのどかな静かな場所だった。静かだねーと、しかしかたわらに建つ家の屋根を見上げるとブロックがごろごろとのっかっていたりして、台風のときにはよっぽど強い風が吹くのだなと想像させられる。

太陽の照る中を歩いていると無性にアイスクリームが食べたくなり、ちらほらと見かけるよろず屋的なお店をのぞく。「うちはアイスクリンは置いてないんだけどね」あっちのなんとかというお店にはあると思うよ、ということを教えてもらい、やっとたどり着いたアイスクリームも売ってる駄菓子屋さんのようなところで
「アイスクリーム置いてますか?」
ときくと、おばさんは親切に「ここここ」と冷凍食品なんかがいろいろ入ってる冷凍庫を開けて教えてくれた。「ありがとうございます」しかしその人はお店のおばちゃんではなくて買い物に来たお客さんで、外で待っている茶色の犬はこの人の犬だった。
「どこから?」
「京都から来たんです」
「まあまあ、それはそれは」
と、犬を連れたおばちゃんは僕と妻とにお店の売り物のみかんをひとつずつ手渡してくれて、これは私のおごりだから。みかんのお金はちゃんと私が払っておくから。と、ぼくらにみかんをおごってくれたのだった。
そしてガジュマルの木の下のベンチでアイスを食べる。
やさぐれた感じの猫がゆっくりと日陰を歩くのを見る。

毛並みががびがびに見えるのはやはり潮風がきついせいなのだろうか。
一奏はサバ漁がさかんであり、かつては屋久島で一番にぎわった町であるらしい、ということなので、それでは港も見ないわけには行くまいと、海まで歩いてみれば漁に出るための舟がいくつか並び、太陽の光を浴びつつちゃぷちゃぷと波に揺れていた。

港の向こうはすぐに山。

そしてこれはきっとサバ節を作っているところなのだろう。広げたビニールシートの上には鰹節みたいなのが一面にのっかっていた。
そのあとバス停の近くにある一湊珈琲焙煎所というところに行ってみた。このコーヒー屋さんに来るというのが一奏に来る目的のひとつになっていた。というのは、僕の妻がコーヒーに目がないからで、この妻と結婚してから、僕もコーヒーのうまさが分かるようになって来ていて、結婚するということは、それまで興味がなかったコーヒーなどが俄然おいしく感じるようになるというものなのだな。ということを思ったりもする。
さらさらと潮風の吹く県道に面したガラスの引き戸をガラガラと開けると、このお店の中だけは都会の風がゆらゆらと漂っているふうだ。レコードプレーヤーがあり、黒いソファーがあり、アップルのコンピュータがあり、さりげなく売ってる古本もなんだか都会風。

インドへ (文春文庫 (297‐1))

インドへ (文春文庫 (297‐1))

古本を見るとついつい何か買わずにいられなくなってしまう僕は、ついついこの古本をここで買った。妻はコーヒーを自分の家用と、誰かにあげる用と二袋買った。
ソファーの後ろの目立つ棚に、山尾三省という人の本が2、30冊ほど置いてある。
「これも売ってるんですか?」
ときけば、それは閲覧用なのですという。
「山尾さんとはどういう人なのですか?」
ときけば、この近くの白川山というところに住んでいた詩人の人で、詩の他にもいろいろ随筆を書いたりとかしていたらしい。
「この本がおもしろいですよ」と勧められたのはたしかこの本だったはず。
聖なる地球のつどいかな

聖なる地球のつどいかな

コーヒー屋さんに綱引きの話などをきくと、コーヒー屋さんはあの太い綱を編むのを手伝ったのだといって、綱を編んでいるところの写真をiPhoneでみせてくれる。写真には赤い消防車が写っていて、この消防車で引っぱりながら編んだのだったと、赤くなった手のひらをみせてくれた。その他にも一奏にはかつては映画館があったとか、遊郭までもがあったのだとか、興味深いお話をいくつかきかせてもらった。
コーヒー屋さんのお店の前からバスに乗り、島をぐるっと回ってモッチョム岳のふもとの尾ノ間温泉に行く。屋久島で温泉に入るのはこれが二度目。この前の日には、Iさん夫妻に連れられて海の見える露天風呂のあるなんとかというホテルの温泉に行ったのだった。屋久島の温泉はわりとぬるぬるとしていて、始めは「あれ? 俺ってばもしかして石けんをよく洗い流さないで湯船に入ってしまったのかしら?」と思ったほど。
温泉から上がりバスを待っていると、だんだん太陽が沈んで行く。バスに乗り、宿に帰る頃にはもう東の空に満月が登って来ていて、空が暗くなるにしたがい、月の光が海をきらきらと光らせる。月のあるところから、それを見ている僕たちのところまで、海の光はきらきらとゆれながらのびて来ていて、それが道みたいに見える。というそんな月と空と海が、崖の上に建つ宿からは全部丸見え。

夕食のあとで宿のスタッフの人たちが十五夜の「うたげ」をするというのでそれに混ぜてもらい、屋久島の焼酎を飲みながらござに大の字で月を見上げる。あるいはハンモックにゆられながら月を見上げる。そうやって時間を過ごしていると、人生ってこれでいいんだよな、と思う。こういう時間を過ごすことが人生なんだよな、と思う。